長州藩の基礎知識
場 所 石 高 藩都と城名 藩 祖 家 紋 支 藩 (石高) (初代藩主) |
中国地方の周防、長門(山口県) 36万9000石 萩 ・ 萩城(指月山城 しづきさん) 毛利輝元(1553〜1625) 一文字三つ星(表上の紋を参照) 岩国藩(6万石) 吉川家(広家、元春三男) 長府藩(5万石) 毛利家(秀元、元就の孫) 清末藩(1万石) 毛利家(元知、秀元二男) 徳山藩(3万石) 毛利家(就隆、輝元三男) 註: 岩国・吉川家は幕末まで大名ではなく、毛利宗家の家来とみなされていた。明治元年(1868)閏4月にはじめて藩として認められた。関が原戦で徳川家康に通じたことで宗家の恨みを買ったらしい。 |
歴代藩主 初 代 二 代 三 代 四 代 五 代 六 代 七 代 八 代 九 代 十 代 十一代 十二代 十三代 十四代 |
[藩 主] 在職期間 毛利秀就(ひでなり) 1600〜1651 毛利綱広(つなひろ) 1651〜1682 毛利吉就(よしなり) 1682〜1694 毛利吉広(よしひろ) 1694〜1707 毛利吉元(よしもと) 1707〜1731 毛利宗広(むねひろ) 1731〜1751 毛利重就(しげなり) 1751〜1782 毛利治親(はるちか) 1782〜1791 毛利斉房(なりふさ) 1791〜1809 毛利斉熙(なりひろ) 1809〜1824 毛利斉元(なりもと) 1824〜1836 毛利斉広(なりひろ) 1836〜1836 毛利敬親(たかちか) 1836〜1869 毛利元徳(もとのり) 1869〜1871 |
支族・姻族 |
宍戸氏 (三丘領主、元就娘(五龍の方)の嫁ぎ先) 石高 11000石 一門筆頭。藤原北家八田氏が祖。隆家が元就と同盟を結び、三女は毛利輝元の正室となった。 熊谷氏 (熊谷直実の子孫で吉川元春の外戚) 熊谷元直は萩築城時の「五郎太石事件」で失脚、処刑された。 坂氏 (室町初頭の毛利親衝・次男が祖) 室町期には広明など代々が執権職をつとめた。1524年、広秀が謀反の疑いで元就に誅される。のち志道広良の次男・元貞によって再興。 桂氏 (坂広明の長男・広澄が祖、安芸桂村に住む) 桂一族は江戸期には寄組2家、大組12家と繁栄した。桂小五郎、桂太郎も同氏系(大江流毛利氏)とみられる。 志道(しじ)氏 (坂広秋の四男・元良が祖。志道村に住む) 広良は興元、幸松丸、元就三代の執権職をつとめた。寄組3家、手廻組1家、大組9家と一族は多い。 口羽(くちば)氏 (志道元良の次男・通良が祖。) 通良の正室は福原広俊の娘で、両川(吉川、小早川)、福原と共に四人衆の一員として毛利輝元を補佐した。 福原氏 (元就生母の生家。貞広は四人衆のひとり) 八代当主広俊の末娘は毛利広元に嫁して興元、宮姫、元就を産んだ。石高11000石で永代家老をつとめる。 |
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