木戸氏系図


廣澄(大江広元十世の孫、安芸高田郡桂村に住み、改姓して桂氏を名乗る) ―─

元澄
(毛利氏に仕える。永禄12年没)元親廣信就宣元武 元信

初代・信方(毛利秀就に仕え、二百石。木戸氏の祖。寛永9年没) ―─

二代・就春
(信方弟。慶応4年没)三代・信之( 寛文12年没)

四代・重之
(信方弟就信の子。享保8年没)五代・信孝(宝暦元年没)

六代・孝里
(明和元年没)七代・孝生(明和4年没)八代・孝稔(天保2年没)

九代・孝古(天保11年没)孝規(天保8年没)、栄次郎(天保7年、

同藩士赤川閑太郎の養子となる。)
―─
 

十代 木戸孝允 小五郎、木戸貫治、木戸準一郎。1833〜1877
和田昌景の子、母は猪口宗左衛門姉清子。孝古の養子
天保11年6月15日家督を継ぐ。
慶応元年9月29日、藩命により木戸貫治に改名
慶応2年9月27日、藩命により木戸準一郎に改名
明治9年3月28日、内閣顧問
明治9年8月3日、宮内省一等出仕を兼務
明治10年5月26日、京都にて死去。享年45
妻 岡部利済養女松子、明治19年4月10日死去、享年44


十一代


孝政(孝允養子)

正次郎
(孝允養子)


好子(孝允実子)
勝三郎。母は和田昌景娘、八重子。和田文譲二男
元治元年7月19日、大阪桜宮にて戦死。享年17
母は孝允実妹治子。来原良蔵二男
明治11年5月23日、父孝允の功により侯爵を授爵
明治17年10月28日、欧州よりの帰途、病死。享年24
母は不詳。孝正妻。明治20年8月20日没
十二代 孝正 彦太郎。母は和田昌景娘で孝允実妹治子
来原良蔵長男。大正6年8月10日没 享年61
妻は孝允娘好子。後妻は子爵山尾庸三長女
十三代
(孝正の子)
幸一

小六
治子
八重子
母は山尾庸三長女。明治22年7月18日生
妻 伯爵児玉源太郎四女鶴子
母同上。明治22年7月18日生。妻は春子
母同上。明治24年8月22日生。大正元年12月時乗氏に嫁す。
母同上。明治26年11月23日生。大正2年12月児玉氏に嫁す。
十四代
(幸一の子)



孝澄

由喜子

笑子
孝彦
孝信
和子
母は鶴子。大正6年3月8日生。妻は舒子
子は松子、良子、久子
母同上。大正8年2月3日生
母同上。大正10年3月9日生
母同上。大正12年2月23日生。妻は美枝子
母同上。大正13年9月11日生
母同上。大正15年11月28日生





和田氏系図

正倫
興三、興三右衛門。毛利元就七男天野元政四世の孫
代々の居住地周防右田から長門大谷に移住。天野氏から和田氏に改称
元禄6年5月19日没、46歳
妻 田中理兵衛娘
正清
小五郎、孫四郎、 号 梅翁
宝暦10年6月27日没、82歳
妻 相原権右衛門養女
正孝
千彌、早太、小五郎、文景
天明8年に藩医となる。文化7年9月24日没。享年不詳
妻 田中十右衛門娘、 後妻 某氏娘
正周
清吾、文蔵
橋本傳右衛門の子で、正孝養子
文政7年11月14日没。享年不詳
妻 和田正孝娘
正直
(木戸孝允実父)
昌景
藤本玄盛(玄省)の子
藩主毛利斉廣、敬親に仕える。食禄20石
嘉永4年1月12日没。72歳
妻 田邉玄養女、 後妻 猪口宗左衛門の姉
正寛
(正直婿養子)
文譲 小泉雄仙の弟
安政元年9月27日没。46歳
妻 和田正直長女捨子、 後妻 正直二女八重子、 後妻 内藤某娘
捨子
(正直長女)
母 田邉玄養女
和田正寛妻
八重子
(正直二女)
母 田邉玄養女
和田正寛妻
孝允
(正直二男、
実子長男)

小五郎、のち木戸孝允
桂九郎兵衛養子、 天保11年6月15日家督
母 猪口宗左衛門姉
明治10年5月26日没
治子
(正直三女)
母 猪口宗左衛門姉
来原良蔵妻
明治8年11月18日没

芳助
卯一郎、文景
父 文譲、 母 捨子
明治43年8月22日没 73歳
妻 某氏娘、 後妻 長井官三郎娘



参考文献: 松菊木戸公伝(木戸公伝記編纂所)、木戸松菊略伝(妻木忠太著)
        「英傑の秘話」中 ― 凛とした志が輝いた維新の頃(田部井昌子編著)






生咲氏系図
(市兵衛一家のみ)

生咲市兵衛 浅沼忠左衛門(若狭国小濱藩士)の二男・音次郎。同藩生咲家を継ぎ市兵衛を名乗る。
妻 細川太仲娘・スエ

政次郎
(政太郎とも)
市兵衛息子
(木戸孝允日記・明治7年6月25日に、「今日より木崎政太郎父子移住。その母姉にも始めて面会す」とある。移住とは京都の木戸別宅のこと)
市兵衛娘。
夫 小関正孝
 その子 トメ、ツネ、小関教太郎
夫 青山静渕
 その子 直枝
夫 松本順造
 その子 木戸忠太郎(木戸孝允養子)
 明治4年4月14日生。妻は小野田元熈娘千子
 昭和34年3月15日死去。享年88
才三郎 市兵衛息子
油次郎 市兵衛息子
清祐 市兵衛息子
市兵衛娘
松子 斗、幾松、翠香院。1843〜1886
木戸孝允妻
明治19年4月10日死去



参考文献: 侯爵家のアルバム(歴史民族博物館振興会刊)、
松菊木戸公伝(木戸公伝記編纂所)、木戸孝允日記

註: 信の夫については、離別、死別、再婚かどうかの記述はありません。



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