大久保・木戸書簡  

漢字、カタカナをひらがなに直している箇所があります。
木戸から大久保へ(慶応2年5月18日)

(註) 長州藩主名代として幕府の呼び出しに応じた宍戸備後之介、小田村素太郎が幕府側に捕えられ、幽囚の身となった事情を憤激して述べている。

幕府、長州藩の使者を捕える

拝啓先以
御壮栄に渡らせられ恐賀至極に存じ奉り候。さて先だっては御投書遣され、あり難く拝誦奉り候。実に引継ぎ容易ならぬ御苦慮のほど、遙察奉り候。なお品川弥次郎儀はひとかたならず永々御高誼万謝あり難く存じ奉り候。
先日は黒田(清隆)君態々(わざわざ)御光来なし下され、堀(直次郎)君にも三田尻へ御滞泊下され始終不敬のみ相働き恐れ入り奉り候。黒田君にはお帰りがけ芸国へもお立寄りなされ候ご様子、就いては近況委曲ご承知成され候御事と存じ奉り候。
其巳後(いご)、宍戸備後之介、小田村素太郎両人暴(にわか)に幽囚の次第に到り、未曾有法外の致すところ、干戈軍装をもって相迫り候始末、殊に備後之介事は寡君父子ども名代として差し出し置き候ところ、右の次第に立ち至り候については、幕(府)に於てすでに干戈を開かれ候儀と頑武一統憤怨に堪えず、切迫罷り居余儀なき形情、御降察遣さるべく候。
なお巨細申し上げたく存じ奉り候えども、禿筆(とくひつ)々を尽くしがたく閣申し候。 其中時下ご自愛邦家の御ため肝要しごくに存じ奉り候。 梶X頓首九拝

貫治

五月十八日

市蔵老台
二白幾応にも時下別てご自愛専要に存じ奉り候。 再拝。


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