大久保・木戸書簡  

漢字、カタカナをひらがなに直している箇所があります。
大久保から木戸へ(明治1年4月?日)

(註) 単なる報告書なのか、普通の私信らしいところはありません。「筆者推定は憲政資料室の目録による」となっています。

戊辰戦争関連の報

一、 十日夜、歩兵二千人ぐらい脱走の事。
一、 十一日、東海道諸軍一斉して城並びに兵器滞りなく相受取り候事。
     付、城、尾州え御預かり
一、 同日未明、慶喜水戸へ退去の事。
一、 同日夜、歩兵五百人、脱走の事。
一、 同日九段坂屯集歩兵千人余、東海道先鋒藩々え御預かり。
一、 軍艦乗組合二千人許(ばかり)。
観光  
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 六門 
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十二門 
十二門 
十二門 
十一門 
二六門 

右、十一日、海軍惣督手をもって受取りの筈候処、激濤にて士官上陸仕り難く候に付、明朝まで延引願い出差し許され候ところ、翌朝に至り、一艘相見えず、脱走の事。
一、東海
十三日先鋒総督城内点検の上、久留米邸え御移陣の事。
一、 十四日大惣督宮本門寺へ御着陣、翌十五日増上寺え御移陣。
一、 静寛院宮、田安え御入。
一、 天障院様、一橋え御入。
一、 東山道先鋒惣督軍門え板倉伊賀降伏、宇都宮へ御預かり。
     付、家来五十人、鳥居丹波へ御預かり。
一、 同手え近藤勇擒(とりこ)と成る。


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