[木戸孝允意見書] 明治元年2月


版籍奉還に関する意見書

(漢字、カタカナをひらがなに、旧字を新字に直している箇所があります)


慎みて建言奉り候。倩(つらつら)今日の形勢を惟(おもんみ)るに、去歳徳川慶喜政権返上を請願奉り、朝廷これを許可したまへり。続いてその土地人民を還納せしむ。然して彼速やかに奉命せざるのみならず、終(つい)に政権返上の請願に戻り、剰(あまつさえ)兵を携え押而(て)上京を企て、一敗地に塗(まみ)れ、以而(もって)今日の争乱を生ず。固(もと)より迅速にその巣窟を衝き、天下の大典を糺ざる有べからず。然り而して抑(そもそも)一新の政たる、無偏無私、内は普(あまね)く才能を登庸し、専ら億兆を安撫し、外は世界各国と併立し、以って邦家を富嶽の安きに置くに在。

就いては至正至公の心をもって、七百年来の積弊を一変し、三百諸侯をして、挙げてその土地人民を還納せしむべし。然らずんば一新の名義いづくに在るを知らず。実に天下の大勢元亀天正の時に在らず。慎みてひそかに朝廷及び諸藩の情勢を察するに、只(ただ)わずかに兵力の強弱のみを各自相窺ひ、朝廷は自ら薩長に傾き、薩長はまたその兵隊に傾き、諸藩また概(おおむ)ねかくの如き類ひ、真に尾大の弊を免(まぬか)るる能はずして、真権の帰着する所、決して未可認。況や大いに前途の大勢を顧みるに億兆の安憮哉。

思ふに東国の争乱もその兵卒を収むる久しく在ず。各藩の兵隊各藩に就いて、区々基本を固め、区々政刑を施すときは、その害再び決して抜くべからず。朝廷勉めて一新の名儀をもって、その実を協さざる不可有(べからず)。然らずんば国家億兆の大不幸、前日の比にあらず。もし大令一発、諸藩怱(たちまち)に紛擾を生じ、大条理乱るる如くに於いては、実に天運の真に回らざるものにして、人事の能う所に在らず。誓って至正至公の心をもって、糺(ただ)さざるときは、何れの日にか貫通せざるを得ん。速やかに御英断在らせられたく、満願の至りに堪えず。 誠恐誠惶。 頓首敬白。

 (註) 政刑: 政令と刑罰、 億兆: 人民、 区々: ばらばら



 (解説) 木戸孝允が天下の諸侯にその版籍(領地と人民)を朝廷に返上させ、郡県制への途をひらく意見を提示したのは明治元年2月のことでした。前年10月には将軍慶喜の大政奉還、12月には王政復古の大号令、という歴史的事件が起きています。しかし、翌年1月に鳥羽伏見の戦いが勃発、日本は内戦状態に入りました。

誰もが目前の騒擾に眼を奪われているさ中、今後の日本の建設に思慮をめぐらし、現状に対する危機感から、この意見書を呈し「版籍奉還」の重要性を訴えたのは、実に木戸孝允が最初でした。たとえ幕府を倒しても、依然として封建制は存在しており、新政府には兵権もなく、財権もなく、政権さえも確固として掌握していないのです。

各藩が軍隊を擁し、独立割拠している状況では、新政府など有名無実であり、倒幕をなした意味もなくなります。これを木戸は「尾大の弊」と称したのです。すなわち、「七百年来の積弊を一変し、三百諸侯をして、挙げてその土地人民を還納せしむべし」という現実策を掲げ、当時の輔相・三条実美と岩倉具視に建白書を提出するに至りました。

それは、生国・長州藩を敵にまわしかねない、無謀とも思える行為でした。前年12月に木戸は、長州藩が占領した豊前、石見の地を奉還するように藩主毛利敬親に説いて、三条に進言させています。すでに上記の意見を前提とする行為であり、反対者が「木戸を殺せ」という理由がここにあります。しかし、木戸の最大の理解者が毛利公であったことは、彼にとっては実に幸いなことでありました。

版籍奉還について、再三にわたって藩主に説いた事情については、木戸の自叙が残っているので、参照として以下に転載いたします。



版籍奉還建議の自叙

戊辰の歳、伏水(見)戦争以来、諸藩京都に輻湊し、議論百出、或いは攘夷と云い、或いは開国と云い、或いは鎖国と云う。而して三論中、また種々波党を立て、各々国論と呼び、藩論と唱え、天下囂々(ごうごう)、自ら紛乱の勢いあり。東北の戦争を終え、諸藩その国に就き、互いに我流を主張し、兵力を養い、長は薩と肩を比し、土は肥と争い、各一隅に割拠し、眼目をただ内治に注し、すでに大患の外に来るを知らず。

この時に當り、朝廷上条理を推すもの有りといえども、また是を如何ともすべからざる知るべし。ここに於いて皇国の大不幸、則(すなわち)億兆の大不幸、未曾有と云うべき也。今日の急を論じ、前途の大略を定めんと欲せば、惟七百年来の旧弊を一洗し、皇国をして統一するにあらずんば、皇国を維持し、億兆を安んずるあたわずと。

是より苦按、焦思、一日も安んずるべからず。依って密かに版籍奉還の議を起こし、益(ますます)大義を明らかにし、名分を正し、天下をして大いに誘導し、わが長藩をして首尾あらしめんとす。而して藩内の物情、甚だ易からざるものあり。況やまた天下に於いてをや。いやしくも、口外すべからず。然りといえども千載の一時、今日の機を誤るときは、天下の事また見るべからず。

依って奮然意志を決し、ひそかに我が忠正公(毛利敬親)に謁し、具(つぶさ)に天下の大勢を論じ、将来の大患を陳せり。公聞きて是を善しとす。允(孝允)をして、密かに薩藩に説を許す。ここに於いて漸その始を立つるものあり。この間の紛紜(ふんうん)、百苦千辛、また容易に語るに堪えず。忠正公なくんば、実にもって難しとす。


戻る