[木戸孝允意見書] 明治6年7月


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憲法制定の意見書(全文掲載)

(漢字、カタカナをひらがなに、旧字を新字に直している箇所があります)


孝允、材識せん烈、学問空疎、みだりに要路に当る。すでに巳(すで)に恐悚(きょうしょう)に堪えずして、さきには命を奉じ、欧亜各国に使いし、専対その当を得ざる者また少なしとせず。上は朝廷特命の旨を尽くすあたわず、下は人民希望の意に酬(むくゆ)るあたわず、その罪もまた多し。しかれども経歴の際、その制度、文物については沿革の由(よ)るところのものを察し、その風土人情に由っては、異同の岐(わか)るところのものを考え、これをわが那(くに)維新前後のことに比較して、その施設措置の得失を熟思するに、各国の事跡大小文鄙(ぶんひ)の差ありといえども、その廃興存亡する所以(ゆえん)の者を原(たづ)ぬるに、要は正規典則の隆替(りゅうたい)得失如何(いかん)を顧みるのみ。

これをもって、土壌広大、人民蕃殖すといえども、いやしくも正規典則を以(もっ)てこれを約束する有にあたわずして、一夫は鄙(ひ)にして私利を営み、一夫は驕(おごり)て公道を矯(た)め、諂諛(てんゆ)僥倖したがって朝に満たば、富強文明の外貌ありといえども、国基衰退、ついに整頓すべからざるに至らん。商艦遠からず、欧州「ポーランド」の蹉跌のごとき是(これ)なり。
その独立存在せるに当っては、土壌広く、人民衆(おお)く、暴君汚吏あるにあらざれども、時勢の変遷にさいして、その政規を確立することあたわず。甲は自ら信じて智者と唱へ、乙は自ら負して能者と称し、彼此(ひし)あい服せず。公侯豪族あるいは私利を営み、あるいは公道を矯め、あい争ひあい軋(あっ)し、ほとんど無政府の那(くに)となり、生民の困厄(こんやく)いうに堪ふべからざる者あるに至りては、誰か活路を探りて、救済を求めざるものあらんや。

国を挙げて蜂起し、怨みを公侯に修め、讐(あだ)を豪族に復し、その騒擾ついに北隣ロシア、プロシャ、オーストリアの三国に波及し、生民その堵(と)に安(やすん)ずる者なきに向はんとす。三国の民坐してこれを傍観するに忍びず、兵力を集め、残賊を膺懲(ようちょう)し、、ついにその国を三分して、各自の所属となせり。
ここにおいて亡国の人民、はた誰をか咎め、誰をか恨みんや。国に独立の実績なく、人に固有の権利なきをもってなり。予火車(かしゃ)に駕しプロシャよりロシアに行く。一暁悲笳(ひか)耳に徹し、残夢たちまち破る。起(たち)て玻り窓を推せば、すなわち「ポーランド」にして、土人の旅客に銭を乞うものあり。因ってその盛時を追想し、涙禁ぜざるもの之を久うす。嗟呼(ああ)政規建て典則存せざれば、いずれの国かこの覆轍(ふくてつ)を免(まぬ)かれん。廃興存亡の機かくのごとく急なれば、録して以ってこれを賢明諸公に質(ただ)さざるを得ず。

夫(そ)れ一枝の杖は、その強きものといえども、時ありて三尺の童子もまた能(よ)くこれをくじく。十枝の杖は、その弱きものといえども、把(は)してこれを束ぬれば、壮夫もこれを折ることあたわざるのみならず、千斤の重きを支梧(しご)すべし。今一国を割き、無数の小主をして、各区に主宰たらしめば、方きょう門多くして、各その利を営み、各その欲を逞しくし、国力分裂して、以って牆内(しょうない)、兄弟の強弱判ずべしといえども、外国に対峙するに至りては、何をもって一和協合の強敵に抗するを得んや。
もしこの道に反して、一主よく無数の小主を統べ、方きょうを一途に帰し、利害を一徹に通じ、全国に総轄せば、たとひ令境壌人民をして、広く且つ大ならざらしむるも、以って隣境の侮慢を禦(ふせ)ぐに足らん。これ物理の然るところにして、今日五洲強国の通論なり。

わが国さきには時勢の変更に際して士民その処を失ひ、貧困に陥るものもまた鮮(すくな)からずして、京畿、北陸の諸役に至りては、一時塗炭に坐するを免れざるの歎あり。また一家の厄に就(つい)てこれを言はんに、父は京城に戦ふて、国事に殉じ、子は北地に斃れて、君恩に報ずるものあり。今にして当時を追想すれば、未だかつて冷汗(れいかん)背にあまねからずんばあらざるなり。

然れども、一家の厄(やく)は私情にして、一国の変は公事なり。公事かろきことなし。あに私情を顧みるに遑(いとま)あらんや。是(これ)をもって、皆よく焦心粉骨、ついに朝廷、政規の基(もとい)を成すをえたり。而して、諸制の変革、天下の耳目に触(ふ)るる者、事として、昔日の慣習に異ならざるもの無ければ、あるいは狐疑を抱き、あるいは割拠を謀り、朝意のむかう所を知るものあらざるに似たり。然り而(しこう)して、萬機の朝裁、あに徒(いたづら)に旧制の変更を喜ぶのみならんや、首として内国の時勢を察し、次いで外国の関渉を顧(かえり)み、その施為(しい)一つも已(や)むを得ざるの事実に出でざるものなく、富強を興し、文明を隆(さかん)にし、生民をしてその堵(と)に安ぜしむるを以て目的とす。

故に戊辰の春、東北の地いまだ平定せざるの初(はじめ)、早くすでに百官有司より天下の侯伯に至るまで、これを京城に徴集し、親(みづか)ら天神地祇(ちぎ)を祈り、誓文五條を作り、これを天下に公告し、以て朝憲の帰著するところを證(しょう)し、人民の方向を一定せり。その題言に、大(おおい)に国是を定め、制度規律を立(たつ)るは誓文を以て目的となすの語あり。是をもってついに版籍奉還の請ひを許し、侯伯を廃し、国力の分裂を統一するもの、豈(あに)五洲強国の通論に基(もと)いするに非ざるを得んや。然らば則(すなわ)ちこの五條、実にわが国の基(もとい)たり。

それ政規は一国の是(ぜ)とする所に因りてこれを確定し、百官有司の意に随って臆断するを禁じ、萬機の事務統てその旨に則(のっと)りて、処置することを要するに在らば、慮(おもんぱか)る所の深き、期する所の遠き、当時の士民、誰か叡慮(えいりょ)の隆渥(りゅうあく)に感じ、敢てこれを奉戴(ほうたい)せざるものにあらんや。ただ文明の国に在ては、君主ありと雖も、その制のほしいままにせず、闔国(ごうこく)の人民一致協合その意を致し、以て国務を條例(じょうれつ)し、その裁判を課して一局に委托し、これを目して政府と名(なづ)け、有司をしてその事に当らしむるを以て、有司たる者もまた一致協合の民意を保(ほ)し、重くその身を責めて国務に従事し、非常の変に際すと雖も、民意の許す所に非ざればその措置を縦(ほしいまま)にするを得ず、政府の厳密なるすでにかくの如くなるに、人民なおその超制を戒め、議士なる者ありて、事毎(ことごと)に験査し、有司の意に随って臆断するを抑制す、これ政治の美なる所以なり。

若(も)し人民いまだ文明の化に洽(あま)ねからざれば、暫(しばら)く君主の英断を以て民意の一致協合する所を迎え、これに代りて国務を條例し、その裁判を有司に課し、漸(ぜん)を以てこれ文明の域に導かざるを得ざるもの、これ自然の理にして、さきに誓文の盛挙ありしも叡慮の起るところ、蓋(けだ)しこれに基(もとづ)きしなるべし。顧(おも)うに、わが那(くに)いまだ議士の事毎に験査を加ふる有らずと雖も、政令の重くして、事務の大なる欧米各国の民意を體(たい)し政(まつりごと)を行う者に毫(ごう)も異なることなければ、有司たる者は宜しくその身を責め五條の政規を以て標準となすを要せざるべからず。

政規は精神なり、百官は肢體(したい)なり(欧州の通説に政規は精神、百官は肢體と云う。また一説には人民を以て精神とし、百官を以て肢體となすともいへり。意ふに政規は即、人民一致協合の意に出づれば、二説異なりと雖も理は則ち一なり)、神心命(めい)を伝へて肢體逆(さかし)まに動き、あるいは命を侯(また)ずして妄(みだり)に挙動するが如きあらば、全国の事務錯乱して物情安からず、勢い料(はか)るべからざるに至らん。果してかくの如くならば、前日の盛挙も得(いたづ)らに旧制を廃するに過(すぎ)ずして、士民(しみん)焦心粉骨の労も空しく水上の泡に帰せん。

凡(およそ)、天下のこと、これを言うは易く、これを行うは難し。用捨の間、また以て深く戒めざるべからず。聖主、前日の叡旨(えいし)を推すに、豈(あに)天下を以て一家の私有とせんや。民とここに居り、民とこれを守り、萬機の事務統(すべ)て人民に関渉せざるなくして、人民もまた各々その権利を尽くし、その負担に任ぜざるべからず。予の仏国に至る、その学士「フルツク」なる者に聞けり。曰く、仏国の人民は英国の人民に如(しか)ず、これ誠に嘆ずべきなり。その故は、英国の人民は概して政府興(あた)ふる所の権利を尽くさざる者あるなし。仏国の人民に至りては、その興ふる所の権利は未だ能(よ)くその半ばを尽くさずして、横さまにその興(あた)へざる所の権利を奪わんと欲する者多し。これ、その屡(しばしば)紛乱を致すところにして、国力の強からざるも職としてここに之由(よ)る。あに慨するに堪えざるべけんやと。

予、これを聞いて爽然として自ら失し、赧然(たんぜん)として自ら愧(はじ)たり。それ権利を尽くして天賦の自由を保ち、負担を任じて一国の公事に供する等、みな人民存生の目的なれば、細かにその條目を記載し、盟約して以て、その制に違反することを許さず。あい誡めてこれに従事すべきものは即ち典則なり。典則なるものは政規に出で、政規は萬機の根本たれば、一切の根葉、悉くこれより分出せざるものなし。これを以て各国その政規を変革するに当りては、精思熟慮、遍(あまね)く人民の見るところを尽くし、萬止むを得ざるの事実あるに非(あら)ざれば、決して軽挙妄作することなし。故に君主英断、民意を迎ふるの国に至りては、最も謹慎を加え、特に視察を審(つまびら)かにし、深く内国の状態を考え、広く人民の生産を顧み、その開化の度に応じて、よく施設するを主とせり。

それ、一国を経理するには必ず一国の力あり。力を計りて事に処せざれば、一利変じて百害となる。たとえば、貧人の子の千金の子を羨むが如く、財を傾け家を喪うに至るも、その栄ついに及ぶべきに非(あら)ざれば、国事を理(おさ)むる者もまた手を下すには宜しくその次をたずぬべく、力を養うには宜しくその漸に従うべし。文明の至治、固より一朝のよく求め得るところに非(あら)ざればなり。凡(およそ)五洲の広きや、国あればここに民あり。各国、士風の開化と不開化を問わず、人に賢愚あり、富に大小あり。賢材にして事務に達する者は要路に当りて生民を率い、富貴にして資材に厚き者は生産を督して貧民を御するもの、固より普通の公理なりと雖も、諺(ことわざ)に、一燕の帰来、未だ以て天下の春を唱うるに足らず、烟霞淡蕩(いんかたんとう)、百花妍を争うに至りて、始めて以て陽和と賞するに足るといえるが如く、民間、偶々(たまたま)一、二の賢材を出し、或いは数名の豪富を生ずと雖も、一般の人民、なお貧且つ愚にして品位賎劣の地にあらば、その国未だ富強文明の域に入るというべからざるなり。

わが那(くに)現今の景況について施設措置の跡を察するに、時勢なお逶いとして人心一方に偏執し、権利を尽くさずして徒(いたづ)らに開化を擬し、負担に任ぜずしてみだりに文明を模するの弊なき能(あた)わず。これを以てその外貌は漸々び都に習い往々朴野の旧を変ずと雖も、その心情に至りては未だ俄かに文明に化するを得ず。加之(しかのみならず)、法令軽出、昨是今非、前者未だ行われざるに、後者また継ぐが如きは決して人民のよく堪ゆるところにあらず。而して政務の端多き、区域の際(かぎり)なき人生の要務、開化に従って日一日より進まざるを得ざれば、政府、今日の事務はまたすでに戊申年間の事務とその轍を斉(ひと)しうして、論ず可からず。然るにその政規なおただ五條のみを以て照準となさば、要路に当る者、常に応変の処置に迷い、恐らくは民意に充つること能(あた)わざるに至らん。

然らば則(すなわち)、今日の急務は先ず大令を布き、その五條に基づいて條例を増し、典則を建て以て後患を防ぎ、且つ務めて生民を教育し、徐(ゆ)るやかにその品位、賤劣の地を免れしめて、以て全国の大成を期するに如(し)くは莫(な)きなり。人民品位、既に高くして、政事家方(まさ)にその際に投じ、意を国家に尽くさば将来の幸福も亦多かるべし。萬一徐(ゆ)るやかに大成を期すること能わずして、一、二の賢明独(ひと)りその身の利達を要し、民意の向背を問わずして只管(ひたすら)功名を企望し、要路の一局によりて威権を偶持(へんじ)し、萬所(ばんしょ)国務の多き毎事(まいじ)これを文明の各国に擬似せんと欲し、軽躁(けいそう)これを施行せんか、国歩の運厄(うんやく)以て累卵(るいらん)の危うきを招くべくして、孝允等もまた恐らくは他日の責めを免ること能(あた)わざるに至らん。これ今日の急務、先ず政規典則を建(たつ)るに止(とど)まる所以(ゆえん)なり。予、また嘗(かつ)て聞けるあり。羅馬(ローマ)の古語に曰く、民あれば則ち法ありと。政規典則の欠くべからざる亦以(もっ)て見るべきなり。
孝允欧亜一周、触目経験の際、深く己往(きおう)を回想して、密かに将来に感ずる所あり。区々の心、自(みずか)らかん黙する能わず。見る所を具陳して以て諸公に質(ただ)す。諸公、それ之(これ)を裁せよ。

 (その後、9月に孝允が自ら記すものを以下に追記する)
君民同治の憲法に至りては、人臣の協議にあらざれば、同治の憲法と認めざるは固(もと)よりなり。今、我が天皇陛下、励精整治、而(しこう)して維新の日、なお未(いま)だ浅く、知識進昇して人民の会議を設くるに至るは、自(おの)ずから多少の歳月を費やさざるを得ず。故に今日に於ては政府の有司萬機を論議し、天皇陛下夙(つと)に独裁せらるるは、固(もと)より言を待たざるなり。而(しこう)して、自ら偏重偏軽の患ありて、現に紛騒を生じ、必竟(ひっきょう)人民の不幸に関するもの少なからず。依って天皇陛下の英断を以て民意を迎え国務を條例し、その裁判を課し、以て有司の随意を抑制し、一国の公事に供するに至らば、今日に於ては独裁の憲法と雖(いえど)も他日、人民の協議起るに至り、同治憲法の根種となり、大いに人民幸福の基(もとい)となる必せり。故に孝允の切に希望する所にして、政府諸公へこの書を呈し、速やかに憲法の制定あらんことを陣述せり。而して当時容れられざるも、固(かた)く自らを信じて止まず。この主意を陳述するもの又数次に及べり。(完)



 (解説) 木戸孝允は米・英など各国を視察して、政規(憲法のこと)を制定することが重要であるとの確信を持ちました。「国家の興廃はその国の憲法のあり方にかかっている。国が分割されて無数の小主が各区を勝手に統治していれば、国力は分裂し外敵に対して大きな力を発揮することはできない。国がひとりの統治者の下に団結していれば独立は保てるし富強も可能である。わが国はすでに天皇の下、五箇条の御誓文を作って天下に公告したが、これを基にしてさらに充実した政規を定める必要がある。さらにそれに基づいて細かな法律を作り、なにごともその規則にしたがい、官僚などが随意に臆断するべきではない」と述べています。

木戸が最終的に望むことは、人民に等しく参政権を与えて議会を召集し、何事もその合議を経て決定する立憲政体の実現でした。しかし、維新後なお日が浅く、文明も行き渡らず、人民の知識も十分ではないので、これを実現するにはなお多少の年月を要する。その間、有司(官僚)に国政を任せると、なにかと弊害が多く、人民が不幸を被ることにもなる。したがって、当面は天皇の英断をもって民意を容れさせ、独裁の憲法を作って有司に政務を委ねることにすればよい、というのが木戸の言わんとする要旨です。

木戸が日記に「建国の大法はデスポチックにこれ無くてはあい立ち申すまじく〜」と書いたことで、「デスポチック」(独裁)という言葉がかなり誤解されています。もちろん木戸を本当に知る者は、彼が独裁憲法、国家を目指していたなどと曲解することはありません。上記の意見書を熟読すれば、彼はこの言葉を人民を保護する目的で使ったことがすぐにわかるでしょう。上記の解説と多少重複するところがありますが、つまり、

人民の協議による君民同治の憲法を作るのが理想だが、それには時間がかかる。しかし早く作らなければ、一部の力のある政治家が制度の不備なことに乗じて、随意にその職権を拡張してしまう。だから、当面は天皇が民意を汲んで、独裁の憲法を作る必要がある。 すなわち、有力政治家や官僚が民意を無視して、自分たちの都合のよい政策を勝手に決めてゆくことを阻止するためのデスポチックであって、天皇をして彼らを監視せしめよ、と言っているのです。そして、天皇も憲法は守らなければならない。民と共にあり、民と共に守り、けっして民意から離れてはならない、と述べています。これこそが木戸孝允の「民主政治の開祖」たる所以であります。

なお余談ですか、大久保利通の憲法論と比較して、次のようなことを主張する者がいます。「プロシャ憲法をモデルにしている木戸に対して、大久保はイギリスのそれをモデルにしている。木戸は君主独裁なのに対して、大久保は最初から君民共治を唱えているから、大久保のほうが開明的な立憲主義者である」と。しかし、大久保の唱える憲法論は所詮「絵に描いた餅」に過ぎません。なぜなら、彼は自分が生きている間は、けっしてそれを実現するつもりはなかったからです。それに大久保は木戸の「君民同治の憲法論」を最初に知っていました。木戸の意見とつかず離れずにしておこうと思ったとしても不思議ではありません。第一、事実上の独裁者が独裁的な憲法を提唱するわけもないのです(「五箇条の御誓文」にも反する)。「大阪会議」、「台湾征討」など、二人の現実における言動を比較すれば、どちらが真の民主主義者だったかはすぐにわかるでしょう。


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