松菊日記から転載 



アルバート・クレイグ著
「木戸孝允と大久保利通 − 心理学的歴史分析の試み」


2008.07.18  研究の原点は木戸と大久保の比較歴史学
さかのぼって原点に返れば、筆者の目的は標記のごときものでした。それがどうして木戸孝允ひとりのサイトになってしまったのか? それは二人の歴史的関係を語るまえに、木戸孝允のことが世間にほとんど知られていないということがわかったのですね。
まず、とにかく木戸のことを知ってもらわなきゃどうしようもないじゃないか。比較はそのあとだろう、と思ったわけですよ。それで、いまだに目標にたどりつけないのは、まだ木戸孝允を描ききれてないからなのですね。

このサイトを開設する前に、筆者は木戸と大久保の関係を研究した論文または著作物がないものかと探したのですが、まったくなかったのです。「大久保と西郷」の比較研究したものはけっこうあるのに、不思議でしかたがなかったです。西郷よりもこの二人の関係のほうが重要ですよ、少なくとも明治維新期の歴史に関しては。

困ったなー、せめてひとりぐらい二人を取り上げて書いている人がいてもいいじゃないか、と悶々としていたら、ついに見つけました! 国会図書館のサイトで木戸孝允を検索したら、たった1件だけあったのです。でも、それは日本人が書いたものではなくて、外国人(アメリカ人)が著したものでした。すなわち、

「日本の歴史と個性:現代アメリカ日本学論集」のなかに、「木戸孝允と大久保利通 − 心理学的歴史分析の試み」(アルバート・クレイグ著)という論文があったのです。

これは驚いた! 日本人よりも外国人のほうがわかっているんだ、二人の関係の重要性が。きっと日本の歴史を客観的に視られるからなのでしょうね。もうその本(ミネルヴァ書房 1974年刊)は絶版でどこにもなかったので、思い切って行きましたよ。ほいこら東京に出て、国会図書館に。そこで初めて驚くほど分厚い「松菊木戸公伝」(上下二巻)の現物も拝むことができました。それで、お目当ての本も閲覧して、木戸と大久保について書かれたクレイグさんの著作のところだけ全部コピーしてもらいました。

ちょっと、話が長くなってきたので、その内容の紹介は次回にまわすことにいたしますね。

2008.07.19  少年期における自己形成(木戸と大久保)
上段の話のつづきです。クレイグ氏の論文は「明治政府の指導者たちは、生き生きとした多彩な個性の持主であった」から始まるのですが、前文にあたる部分はとびこえて、「家庭生活」という項で木戸と大久保の少年期に関する話が家族構成も含めてかなり詳しく語られています。その環境の相違がふたりの人格形成に与えた影響については、なかなか興味深い指摘があります。

「木戸は医者になる運命にはなかった。父親が養子とともに過ごしている時間を、また二人の専門家としての親密さを、木戸はねたまずにいられたであろうか。再婚で生れた息子に、老いた父はどれだけの時間をさいたのであろうか」

うーん。なかなか想像力を刺激されますね。もうひとつ、

「後年の女性関係についても、少年期における母への強い思慕と同様、木戸は大久保より未熟であったように思われる。罪意識を処理する木戸のやり方は、かなり自己破壊的であった。(中略)彼はしばしば絶望感と無力感とに陥り、また成功を素直に受けとることもできなかった」

このあとに続けて、

「大久保は、木戸と対照的に、はるかに自由な人間であり、彼の権力への意欲は、自問や疑惑によって傷つけられ(あるいは美化され)ることがなかった」

どーも木戸さん、大久保に対して分が悪そうですね。著者は少年期の木戸を、フロイドの場合と比較して、その類似性について他の著書から引用しています。フロイドの母も父よりかなり若かったそうですね。自分のエディプス的葛藤を解決するのに、フロイドは他の人より苦心したそうな…。 次の章は、

  藩指導者としての木戸と大久保

「木戸も大久保も一般に指導者に必要とされる資質をそなえていた。二人とも聡明で、気力がありかつ慎重であった。二人ともいつ行動をおこし、いつ待機すべきかを正しく判断した」

まあ、妥当な評価ですね――ということで、すこし飛んで、

「木戸と大久保は反逆者だったのであろうか。二人が同士的な尊皇派に参加したのは、権威への反逆の一形態だったのであろうか」

このあとに、家庭内の権威に対する少年期の態度との比較を試みています。長くなるのでここも略して、次は、

「1853年以後、鎖国のからは外側から破られ、、国内変革の道が開かれた。大久保と木戸は激動期に役人となった。彼らは、生活のすべての局面に影響がおよぶような決定をおこなわなければならなかった 〜 いまや彼らの政治目標を達成するために必要ならばいかなる変革も力と説得とにより、なされるべきであった」

ということで、最後の「明治の指導者としての木戸と大久保」は、次回にご紹介することにいたします。

2008.07.20  明治の指導者として(木戸と大久保)
クレイグ氏の論文、第二弾です。今回はまず、ふたりの容貌について語っているところを書き出してみましょう。

大久保について、
「政治家としての大久保はなかなか容姿端麗であった。彼は通常、仕立ての立派な洋服を着用していた。〜 たいていの写真で、大久保は感受性に富んだ、ほとんどビクトリア時代の文学者をおもわせる容貌をしている。直立した姿勢、鋭い眼つき、その他同時代の者が大久保について指摘している強情・不屈さを示す特徴が感じられる写真は限られている」

木戸については、
「木戸は明治初期としてもかなりモダンな容姿をしていた。〜 彼のあごは意志の強さを示していたが、顔立ちは複雑な問題を扱ってきた人にみられる思慮深さでやわらげられていた。〜 木戸はなかなかハンサムであり、白いシャツに蝶ネクタイをつけ背広を着ていた。このような服装は1873年以後、明治の政治指導者たちのユニフォームであった」

しかしながら、外見はあてにならない。と著者は言う。
「成人した後の大久保は非常に一貫性のあるひたむきなそして政治的な人間であった。彼は心を乱すことがほとんどなく、妥協が残された唯一の方法であるときは、原則的な問題についてさえ妥協することができた」

「木戸は大久保よりも人間的な弱さを多く持っていた。木戸は勝負事や風流韻事にたけており、仲間と一緒にになると飲みすごした」 
このあと明治元年の仲間との芸者あそびの話がされ、さらに「なじみの芸者の三味線のばちを包む風呂敷に歌を書いてやって、ある保守派がこの風呂敷を買取り、弾正台に持ち出して、木戸の弾劾を要求した」

よく調べてますねー、クレイグさん。感情豊かで、人間味にあふれ、華麗なあそび人?(風流人と呼んでください) ぐちったり、すねたり、そのうえ女たらしでごめんなさい(なんであたしが謝るの)。でも、男たらしでもあるんですよ〜。とにかくご指摘のとおり、金持ちのぼっちゃん育ちですから。 では、そろそろ政治のほうにも触れて、

木戸は二、三の人物による専制政治よりも、代議制のほうが必要であると主張した。木戸は死にいたるまで、政府は人民のためにあるのであり、人民の世話をするべきであるという孟子的な考えを保持していた

ちゃんと、政見の真髄はしっかりとらえていますよ。

「だが「愚民」には、議会制への用意ができていなかった。彼らは無知蒙昧で、愛国精神に欠け、「(政府のことを)朝鮮か支那かの事のように考え」ていた。〜木戸は絶えず普遍的原理の必要性を説き、日本の武士道は偏狭で不十分であると批判した」

なるほど、日本人でありながら「武士道」を批判できるほど、客観的な眼を持っていたのですね、木戸さん。良い面はあるにせよ、たぶんに自己満足的で、非合理的な面がありますものね、武士道って…

他にもいろいろ触れたい箇所はありますが、長くなってしまうので、最後のまとめである「結論」に進みましょう。次回が最終回になります。

2008.07.21  「木戸&大久保」論 結論
結論の章にはいる前に、感想を先に述べさせていただきますと――本論は木戸が松下村塾で学んだなど、ところどころ史実の誤認が散見されるけれど、概ねよく資料にあたって書かれていると思います。とくにこれまで日本の歴史学者が試みなかった視点から維新の最高指導者たる木戸と大久保の比較を少年時代からさかのぼってされていることは、大変貴重であるとともに、新たな研究の触発にもなるのではないかと期待しております(期待だけにおわりそう?)。
論文中には多少異論のある部分もありますが、ここでは触れずに、別の注目すべき内容を紹介するだけにとどめておきます。

「結論」のなかでクレイグ氏は、「もし大久保と木戸が1867年に暗殺されたとしたら、その結果はどうなっていたか」という仮定を提示しています。

「第一に大久保以外に誰が西郷をあつかい得たであろうか。〜 もし薩摩の指導者が1871(明治四)年以前に彼らを叛乱に決起させていたら、混沌とした無秩序状態がもたらされていたであろう。他方もし西郷、板垣などの軍事指導者たちが政府に入り、政策決定にもっと影響をおよぼしていたら、政府の方向はちがっていたであろう。おそらく変革のテンポは遅くなり、その内容はもっと武士に有利なものとなっていたと思われる」

「第二に木戸と大久保がいなくても薩長の協力が維持されたであろうか。〜 実際、政府は分裂し、薩摩は長州と戦争を始めるであろう、と考えた人は当時少なくなかった」

「第三に木戸と大久保がいなかったら、征韓派は1873(明治六)年に敗れたであろうか。そうはならなかったにちがいない。木戸と大久保がいてさえ、勝負は紙一重であった。 〜 もし朝鮮に出兵していたら、中国との戦争になっていたかもしれないし、また西欧列強との紛争を招いていたかもしれないのである」

「事実に反する仮定的質問は誤解を招きやすい。 〜 大久保と木戸がいない場合の影響も、長い眼で見れば小さいものだったかもしれない。しかし日本の歴史家の多くが「絶対主義的」と名付けているような政府においては、誰が頂点にいるかは重要な問題であった」

最後に現代の政治家、あるいはある時期の政治家にも参考になりそうな、クレイグ氏の分析をご紹介して、本著作の話題をここで終了いたします。

「木戸の(大久保もそうだが)政治家としての長所について最後に指摘したいのは、彼らが正直だったことである。政府の頂点にいる者が正直だからといって、下級役人も正直になるとは、儒教国家においてさえ言えないが、しかし頂点にいる者が不正直であれば、いかなる国においても、政府機構全体が上から下まで確実に腐敗してしまうであろう。木戸が死んだとき財産が残されていなかったこと、また大久保の遺族が、葬儀費用の支払のために天皇から特別の下賜金を必要としたことは、今日多くの開発途上国のリーダーにみられる事例と、なんと対照的に異なることであろう」


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