松菊日記から転載 



木戸孝允関連記事1

2006.07.23  三傑比較
維新三傑というも、三傑はみなそれぞれ独特の性格を持っている。

南洲(西郷)先生は英雄の看板というばかりでなく、真に英雄その人である。その容貌からして巨眼、魁骨、峩々として泰山の聳ゆる如くあった。
甲東(大久保)先生は深沈、謹慎、その態度は恰も鋼鉄の如く、いかなる狂瀾怒涛でも、動かすことのできない概があった。
松菊(木戸)先生に至っては、温雅、懇篤、すべてこれ一団の和気というが如き趣があった。固より堂々たる体格を具えて。(略)

独り松菊先生に至っては、南洲でもなく、甲東でもなく、日本には珍しき、いわゆるリベラルステーツマンの型があった。(「木戸松菊先生」徳富猪一郎著より)

2006.07.19  勝海舟の木戸孝允論
木戸松菊は、西郷などに比べると非常に小さい(そりゃ、身体は負けますよ)。しかし綿密な男さ。使い所によってはずいぶん使える奴だった。あまり用心しすぎるので、とても大きな事には向かないがノー(西郷びいきのあんたに言われたくない)。
かつて京都で会った時、彼が直接おれに話して聞かせたことがある。元治元年の七月に蛤御門の変があった後で〜(幕吏に捕われたときの話で「木戸孝允への旅」に書いてあります)。
あの男がことに臨んで敏活であったことは、まあこういうふうだったよ。それからあの男が下関で兵士を鎮撫していた時分に、ある人へ送った清元がある。

 きのう二上り、きょう三下り、調子そろわぬ糸筋の、細い世渡り日渡りも、そこでなぶられ、ここではせがれ、主の心に誠があらば、つらい勤めも厭(いと)やせぬ。

こういうのだが、どうだ、寓意がわかるかね。(「氷川清話」勝海舟著より。旧かなは現代仮名遣いに直してあります)

2006.07.13  木戸をめぐって伊藤 VS 青木
米欧回覧中に木戸と伊藤の仲がおかしくなったのは、青木周蔵が原因だった? ロンドンについた木戸を大勢の在欧留学生がお出迎え。その中にはプロシャから来た青木がいた。青木の学識にすっかり感心した木戸副使、西欧の事情については青木を相談役としたばかりでなく、外交官になりたいという希望も受け入れてやります。青木も木戸にべったりで、伊藤は内心穏やかじゃない。
「なんだこの青二才は(といっても三歳しか違わない)。木戸さんに取り入って、なに企んでいる」
おまけに木戸には「考えが軽薄だ、昔の苦労を忘れて贅沢にも葉巻など吸いおって」などとなじられる始末。一方、青木のほうはすっかり木戸翁に魅せられて、歌まで贈ってしまうのです。

 君を知らぬ 昔は人に別れても  涙に袖は しぼらざりけり

ちょっと、これって恋歌?(なんか、こっちのほうが赤面……) 伊藤がこの歌を聞いたかどうかは知らないが、「えっ。木戸さんとそこまで深い仲になっていたの。それなら僕は大久保さんの処に走ってやる」(想像的独白) 後の総理大臣伊藤の青木いじめはここから端を発している、とか?。

2006.07.05  木戸孝允の舶来品試用歴
木戸孝允が初めて洋銃や懐中時計を入手したのはいつか? 実に万延元年(1860)だったのですね。正月ですから、まだ井伊大老が暗殺される(3月)前のことですよ。その代金30両の支出を来島又兵衛に頼んでいます。
「私、前から洋銃と根付時計が欲しかったのです。幕府の同心に親しくしている者がいて、欲しいなら内密に購入してあげると言われました。ついては30両ほどご用立てしていただけないでしょうか。西洋の武器が手に入るのですから、けっして損はないと思いますよ」
ね、お願い、って小五郎に頼まれると、
「ほかならぬ小五郎の頼みだ。出してやるか」
と又兵衛は彼の無心を快く聞いてあげました。尊攘派のリーダーが洋物なんか欲しがっているなんて、おおっぴらにはできないから、秘密裏に入手したらしいです。
その後も、双眼鏡とか、長靴とか、洋傘とか入手しています。どうも実用に耐えるかどうか試していたようです。積極的に文明の利器を採用しようとする小五郎の姿勢はかなり早くからあって、単なる攘夷主義者ではなかったのですね。
ところで、懐中時計などを小五郎のために購入してくれた同心、「10両の品を5両で手に入れてあげる」って言ったそうだけど、随分親切ですよね。将来の敵にも好かれていたみたいです。

小説の中の木戸孝允

2006.07.05  「翔ぶが如く」
――人民に政治参加の権利をあたえねばならない。 と木戸はヨーロッパ諸国をめぐり、心からおもった。木戸の民権論は、維新国家をつくりあげた当の一人であるだけに、のちに流行現象のようにして満天下にむらがりでてくる民権論や民権論者にともすればつきまとう浮薄さがなかった。
かれにおける明治国家は西郷の場合と同様、かれ自身が腹をいためて出産した実子のような肉体的実感をもつ嬰児であり、その嬰児の将来をどうすればよいかという点で、この男は全存在を賭けた切実さをもっている。
大隈重信が後年語っている〜 「木戸松菊には私心がなかった。かの人の多病の原因はつねに憂悶にある。その憂悶の原因は薩摩にあった。松菊が薩摩のうごきに憂悶を感ずるのは薩摩人があるいは野心によって国家を破壊し、新政府をその手中におさめようとしているのではないかと疑惑しているからであった」
ということで、木戸はもともとある基礎的な感情の上に大久保への憎悪を募らせているのである。(略)
伊藤は木戸の長所を知っていた。国家のためという立場から説けば、たとえ相手が木戸にとって親の仇であっても手を握らねばならぬという少年のような純真さを木戸はもっていた。 (翔ぶが如く(一)より)

2006.07.11  「花神」
村田蔵六は自国の長州では百姓身分で、藩という行政体に属していない。その点さびしさがあった。「幕臣よりも長州藩士になりたい」という、立身出世の損得勘定からゆけば、およそ計算にあわない蔵六の志望は、そういう素朴な情念から来ていた。
 ではどうすれば長州藩士になれるか、というこっけいな問題があった。たしかに蔵六は自分を宣伝したり売りこんだりするようなことは、生涯なかった。ただひとつの例外は、この時期である。(略)
――長州藩の要人と接触しておきたい。
ところで蔵六が考えている要人とは、御一門や世襲家老のようなものではなかった。彼が接触しようとしているのは、高は百石そこそこ、年は二十五、六の若者だった。桂小五郎である。桂は、江戸では諸藩の憂国家と交際してすでにこの安政五、六年の時期には長州では桂、といわれるほどに一種の名士になり、藩でも桂の発言はいちもく置かれるようになっている。

桂は式台まで蔵六をむかえた。ひどく慇懃な物腰で、蔵六を客室に案内した。蔵六が上座である。桂は年若ながら、すでに老成の物腰がある。蔵六が意外に思ったのは、近頃はやりの志士というものの類型とはちがった人物で、肩をあげて激越なことばを吐くというところがなく、うまれながらの長者というふうがあった。そのくせ大きさを感じさせるところまで至らないのは、その秀麗な容貌のどこかにかげをつくっている憂愁のにおいがそうさせるのかもしれない。 (「花神」司馬遼太郎著より。省略箇所あり)

2006.06.26  「異聞岩倉使節団」
数少ない木戸孝允が登場する小説の一場面をご紹介しようと思います。今回は「異聞岩倉使節団」(古川薫著)です。使節団がアメリカへむかう船上、木戸孝允の命を狙う刺客は果たして本当にいるのか?

「月を見てくる」
食堂を出るとすぐ、長野桂次郎(刺客か?)はそう言って甲板に出た。河添玄吾(木戸護衛の密命を受けた偽留学生?)は彼のあとを追った。長野は船尾にちかい甲板にいた。以外にも少しはなれたところに木戸孝允が立っていた。木戸がさきに長野に話しかけ、長野が慇懃に答えている。玄吾はいつでも飛び出せる構えをとった。長野は木戸に近づいていく。互いに頷きあい、話は弾んでいるようだった。そのうち長野は海をながめるそぶりをした玄吾に気づいた。長野は玄吾を招いて木戸に紹介した。
「木戸先生、この者は私と同室の河添玄吾、フランスに留学する山口県の士族です」(中略) 話をすこししてから、木戸は寒くなったといって、船室に引きあげていった。

「木戸さんは、さすが剣客だな。隙がない。私と話しているときでも、半身に構えておられる」

玄吾はぎょっとして長野を見た。(果たして、木戸の命はだいじょうぶか?) (文は抜粋、省略、アレンジしてあります)

2006.06.02  ドラマの中の木戸孝允 「田原坂」
別の調べものをしていたのですが、本棚の「田原坂」(日本テレビ大型時代劇シナリオ)を眼にして、何気なく手にとってみました。以前に、このDVDの木戸孝允登場場面だけをサーチしてよく見ていました。西郷隆盛(里見浩太朗)が主役なのですが、私の中ではほとんど木戸さんが主役。数少ない登場場面の会話をすこしずつ紹介したいと思います。

(第一回)

明治4年、西郷と板垣が新政府に復帰するため、木戸と大久保と共に東京に向う「ニューヨーク号」甲板での場面。

板垣(船戸順) 「ああ、富士のお山が美しい……まっこと新生日本丸の船出に相応しい」
木戸 (風間杜夫) 「是非そう願いたいものだが、先のことを考えると、そう無邪気に喜んでばかりもおれん」
大久保(近藤正臣) 「(笑う)木戸君は悲観的すぎる。維新の偉業を達成したこの四人がしっかり手を組めば、可能ならざるは無しじゃ」
木戸 「(苦笑して)薩摩と土佐は黒潮のせいか、大まかでこまる」
板垣 「関門海峡に黒潮を流し込めば、長州人も少しは大らかになるじゃろ」
大久保 「そいは無理だ。あそこは日に何度も流れが変わる」
木戸 「は、埒もない」
(笑う大久保、板垣、木戸) 以下略。

(第二回)
明治9年7月。場所は東京・内務省の一室。鹿児島県令大山綱良が上京し、木戸が杖をつきながら激しく大山を詰問している。

木戸「私学校はなにゆえに地租改正など数々の政令を無視するのか。(略)私学校党にあらざれば人にあらずの風潮は断じて許しがたし、即刻役人を一新したまえ」
大山 「しかし木戸さん、いま薩摩に溢れちょる20万士族は私学校があるから治まっちょるとは思いもはんか?」
木戸 「士族問題は薩摩だけではない。長州はすでに士族を切り捨てた」
大久保 「こんまま薩摩が政府を無視し続ければ、いつか必ず政府とぶつかる。いまや鹿児島は日本の火薬庫じゃ。(略)ここはひとつ、政府の顔を立てて、県の行政職から私学校党を外してくいもはんか」
大山 「何も政府に盾つくために連中を登用したわけではない。優秀な人材を求めた結果そうなっただけのこつ」
大久保 「じゃろどん、そこをなんとかして欲しか。県の役人ぐらい、ほかにもどひこでんおっじゃろ」
大山 「そいならおまんさぁが鹿児島へ戻って県令になればよか。代わりにオイが参議になる」
  憤然と大山を睨みつける大久保。
木戸 「役人を一新できぬとあらば、即刻私学校を解散させるかどっちかだ」
大山 「どっちもお断り致しもす。もし、どうしてもとあらば、全員辞職致しもす。ご免ッ」
  傲然と去る。苦々しく沈黙する木戸と大久保。木戸、大久保を睨む。
木戸 「わしはもう萩には戻らん。大久保さん、おんしもじゃ。おんしも鹿児島を捨てるべきッ……」
  突然、カッと眼を見開いたまま崩れ落ちる木戸。
大久保 「木戸さん、木戸さん……」
 駆けよって、木戸を抱き起こす。(この場面おわり)

(第三回)
内務省の一室。木戸が大久保、川村純義、大山巌の薩摩派と対立している。

木戸 「鹿児島に保管してある陸軍の武器弾薬はすべて大阪に移したほうがよい」
 「それではかえって私学校を挑発するとこになりもはんか?」
川村 「それにあれは薩摩藩時代に、藩士一人ひとりが一石当り一升ずつ供出して蓄えた物、そいを取り上ぐッのは…」
木戸 「どんな経緯があろうといまは陸軍の物じゃ。(略)廃藩置県とはそういうことなんじゃ」
 「そいが理屈ではごわんどん…」
木戸 「西郷は起たんじゃろ。だが、私学校は安心できん。馬鹿な考えを起こさんよう政府の断固たる態度を示すべきではないか」
大久保 「そこまでいうなら木戸さん、あんたがやりなさい。内閣顧問なんぞに引っ込んどらんで、参議に戻ってやったらよか」
木戸 「長州内のことは長州人が片付ける。薩摩のことは薩摩人が片付ける。それが昔からの西郷の持論じゃった」
川村 「しかしこん問題は一薩摩の問題ではあいもはん。日本国の大事でごわす」
木戸 「そいじゃけェおんしらには、統一日本の政治家として、軍人として、毅然たる態度で臨んでほしいというちょる…(ぶつぶつと)…維新の大業を無駄にして堪ろうか。夥しい同志の血を犠牲にして造り上げたこの国を、一握りの不平士族どもに奪われてなるものか…」
  と、杖にすがって、よろつく足取りで部屋を出て行く。入れ替わりに川路が皮相な微笑を浮かべて入ってくる。
川路 「長州の麒麟児桂小五郎どんもいまや駄馬でごわんな…明治維新はまだ終わっておりもはん。こいが最後の仕上げちゅうもんごわんど」
 大久保、自分のなかでじっと何かと戦っている。
 「(遠慮がちに)大久保さぁ…」
川路  「(決断を求めるように)内務卿!」
大久保 「オイにも少し時間をくれいッ!」
唖然となる川路、巌、川村。
大久保 「(懸命に激情を堪えて)…木戸の言うこつにも一理ある。大義名分がなかったら西郷どんは起たんというが、オイは西郷どんの気性をよう知っちょ…自分の弟子をば見殺しに出来るような男じゃなか…(略)西郷どんを鹿児島へ帰すんじゃなかった。(略)過てり。ないごて我あやまてりじゃ…」 (以下略)

(最終回)
天皇の関西巡幸に随行した木戸は、京都で倒れ、上京区の旧近衛別邸で静かに臨終の時を待っていた。臨終の木戸孝允を大久保利通が見舞いに来ている。
木戸 「わしはもういけんぞ大久保さん……そのうち西郷も、やがておんしも死ぬじゃろう」
大久保 「なにを弱気な」
木戸 「わしらの役割は終わったのよ」
大久保 「国造りはこれからじゃ。まだ終わっちゃおらん」
木戸 「いいや違う。わしらは矛盾を沢山抱えちょる。国造りは新しい連中がやればいい。わしらは、所詮時代に選ばれたに過ぎん」
大久保 「俺はまだ死ねん。近代日本の建設をこの目で確かめんうちは死ねん」
木戸 「時代に選ばれたわしらは、時代に捨てられて行くんだよ。わしも、西郷も……やがておんしも……(死期迫るその顔)」
  暗然と窓辺に寄る大久保。
大久保 「(涙で)西郷どん。おはんな……維新の矛盾をみんなひっ抱えて死んでいく気か……」
 (この場面おわり)


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