1. 木戸はなぜ尊攘派のリーダーになり得たのか?


木戸というよりも、桂小五郎といったほうがいいかもしれない。
吉田松陰や高杉晋作のように、はっきりしたイメージが沸かないのが桂小五郎であろう。要するに「黙って俺のあとに続け!」というような、いかにもリーダーらしい押しの強さがない。一流の剣客でありながら、容貌にはその凄みも感じられない。
長州の過激派志士らとは常に一線を画し、外国公館の焼討ちや、佐幕派要人の暗殺にも手を染めなかった。 しかもなお、桂小五郎は藩政に携わる尊攘派の上司にも激派の若い藩士たちにも信頼され、頼られていたのである。不思議というほかない。
司馬遼太郎が小説「花神」で桂小五郎を評している部分を、少々長くなるが引用する。

桂という男は、全体が一個の天秤のような男らしい。亡命からもどったこの男を、藩主以下がこれほどよろこんだのは、かれに特別の政見や、魔術的な政治的才能があったわけではない。(略)あるのは、天秤の感覚だけである。桂は天秤の支点そのものであった。(略)天秤が無私であるように、こういう感覚のもちぬしは、つねに無私でなければならない。
「わしの議論をきけ」 といって腕まくりするようなところは、桂は少年のころから無かった。つねに困ったような表情をして、ひとの議論を傾聴する側であった。このため桂は賢なのか愚なのか、門人の長所を指摘することについてはきわめて情熱的だった吉田松陰でさえ、桂に対しては、ほとんど語っていない。語りにくい存在だったのであろう。
そのくせ松陰は、桂を信頼することが厚かった。その理由は、桂はたれよりも口が堅かったし、そのうえ、天性のものらしいが、優しさがあった。天秤は本来、優しいものであろう。

私はこの司馬氏の「天秤説」に加えて、桂は「台風の目」のような存在だった、と評したい。「台風の目」はいつも風雲とともに動く。動くが、自らは風雲に翻弄されることなく、冷静に周囲の状況を見つめている。しかし、けっして風雲の中心から外れることはない。しっかりと嵐のただ中に身を据えているのである。 桂が人からリーダーに推されるゆえんは、軽挙妄動に走らない安心感と、優れた先見の明、そして司馬氏が指摘する、ふんわりと周囲をつつむ優しさだったのであろうか。

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