[れんぺいかんのはな]

練兵館の華

   
「練兵館の華 - 塾頭誕生編」
第一章  練兵館に桂小五郎あり

あらすじ(新版)
(第一章は既刊冊子「練兵館の華 - 塾頭誕生編」の序章を含めた梗概です) 

 この物語の主人公・桂小五郎は本州西端に位置する長州藩に生れた。藩祖はおよそ250年前、「関ケ原の戦い」に敗れた毛利輝元である。したがって、徳川幕府をはばかる敗者の藩都は不便な日本海側に位置する萩にあり、小五郎も藩医の息子として萩で生れた。

 長州藩の藩士たちは中央の政治とは無縁に暮らしてきたが、十八歳になったばかりの若者の好奇心は旺盛だった。ちょうどそのころ、江戸で人気のあった剣術道場「練兵館」から斎藤新太郎(弥九郎の長男)が萩をおとずれ、藩士たちの江戸留学を勧めた。小五郎は外の世界を知るチャンスだと思い留学を希望したが、残念ながら藩費留学生の選には漏れた。しかし、私費留学が認められ、小五郎は五人の藩費留学生とともに江戸に上り、斎藤弥九郎道場の門下生となった。

 「練兵館」で小五郎は「鬼歓」の異名で知られる弥九郎の次男歓之助との厳しい稽古に耐え、注目されはじめる。したたかに打ち据えられても、何度も起き上がり立ち向かっていく小五郎に弥九郎も関心を持ちはじめるが、ある日、鬼歓との稽古で対峙したとたんに倒れてしまう。やがて、風邪を引いて熱を出していたことがわかり、弥九郎が病室に見舞いに来る。彼は他の長州藩士から、小五郎が子供のころから病弱だったことを聞いていた。

 小五郎の熱にほてった顔をみながら、弥九郎は考え込んだ。
 小五郎の剣技はけっして歓之助に劣ってはいない。ただ力負けしており、技をかける前に力で押しまくられてやられている。小五郎もけっして小柄ではないのだが、神道無念流の奥義を窮めるには、まだまだ身体が細すぎる。それに風邪を引きやすい体質も改善しなければならぬな。
 荒稽古のなかでもどこか他の弟子たちとは違う、凛とした雰囲気を漂わせている小五郎に、弥九郎はいつの間にか眼がはなせなくなっていた。

 小五郎は風邪が完治するまで、結局5日間も藩邸に帰れず、斎藤家の世話になった。練兵館では人の出入りがうるさいだろうからと、家族の住む屋敷内の部屋に移されていた。小五郎の熱もすっかり引いたころに、歓之助が見舞いにやってきた。小五郎は彼に軽蔑されているのではないかと怖れたが、そんな様子はなく、風邪の原因は寒稽古だろう、とするどく見抜いていた。
 歓之助の眼にいたわりの情を感じてやや安心した小五郎は、幼少のころに大病をしたこと、一命はとりとめたが、それ以来病弱な体質を改善できずに年を重ねてきたことを、正直に打ち明けた。
 なるほど、桂の稽古に対する異常な熱心さは、そういう劣等感を克服するためでもあったのか、と歓之助は理解し、相手への関心が起ってくるのを感じた。

 弥九郎父子の行きとどいた配慮のおかげで、その後、小五郎は二度と風邪を引くこともなく春をむかえ、夏が近づくころには剣術もすばらしい上達ぶりで、師の弥九郎を喜ばせた。もはや斎藤門下で小五郎にかなう者はなく、歓之助とも互角の勝負ができるまでになっていた。

 朝夕の風が涼しくなり、枯葉が舞い始める秋になると、新太郎が小五郎を連れて他流試合に出ることが多くなった。大名屋敷で催されることもあったが、どの試合でも誰ひとり小五郎にかなう者はいなかった。必然的に「練兵館に桂小五郎あり」という噂が江戸中に広まっていった。さなぎは見事、蝶になった――入門当初よりよほど逞しくなった小五郎の姿を眼を細めて眺めながら、弥九郎はある晩、すでに道場に住み込んでいた小五郎を居室に呼び、免許皆伝を許すことと、塾頭をつとめるように告げた。

 練兵館はもともと人気のある剣術道場だったが、桂小五郎が塾頭になってからは益々評判が高まってきた。実戦を重視した力の剣技に小五郎の華麗な早わざが加味されると、まさに見る者を釘付けにする。とくに歓之助との立合いは柔と剛の息詰まる攻防を見るようで圧巻だった。

 ある日、弥九郎と親しい他流派の道場主が自ら練兵館をおとずれた。すでに小五郎の剣技は試合でみており、その実力を高く買っていた。
「どうだ、斎藤殿。桂をうちに譲ってくれぬか」
 道場の立地の悪さから、なかなか弟子が集まらないのだという。今、江戸中で評判の桂がほしいというわけだった。
「お断りするほかない。桂はどこにも譲れませぬな」
 弥九郎はきっぱりと言う。
「桂がいなくとも、貴殿の道場は十分にやっていけるではないか」
 弥九郎は相手にむかって微笑んだ。
「桂はうちの宝です」
 それ以上は言う必要はないというように、弥九郎は口を閉ざした。やはりな、最初から無理だとは思ったよ、と相手は意外にあっさり諦めると、廊下から道場の稽古をのぞき見た。乱稽古でも見物人の眼はみな桂の動きを追っていた。
「凄いね。どこにいるかすぐにわかる。桂はやはり『練兵館の華』だな」
 相手の言葉を聴いて、弥九郎は笑いながら大きくうなづいた。


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