8. 芸妓幾松と桂小五郎 − 命をかけた恋

周知のとおり三本木の芸妓幾松は、長州藩士桂小五郎が命の危険に晒されていたもっとも困難な時代に彼を庇護し、必死に支えつづけた女性である。「池田屋の変」につづく「禁門の変」の戦いで長州藩が敗れて、小五郎は幕府のおたずね者となった。但馬出石に亡命するまでの間、京都で潜伏中の彼に密かに食料を運んだのが幾松だった。彼女自身が新撰組や幕吏に監視されていたので、危険は切迫していた。小五郎は今出川の東(賀茂川大橋の近く)、一間四方の掘立小屋に乞食のような身なりで隠れ潜んでいたのだが、彼女は危ないと思ったときには、実家の母親に頼んで食料を運んでもらったらしい。
その後、広戸甚助の手引きで小五郎は無事京都を脱出し、出石に入った(「広戸甚助と桂小五郎」の項、参照)。彼は出石から新たな行動を起こすつもりだったようだが、小五郎探索の手は厳しく、とても動けるような状況ではなかった。
京都に残っていた幾松は依然として監視されていた。伊藤博文の回想によると、探索にきた幕吏が幾松の美貌に惹かれて彼女を侵そうとした。幾松は三味線を膝にかけてへし折り、それを投げつけて駆けだすと、対馬藩の屋敷にとびこんだ。対馬藩士・多田荘蔵が幾松を保護したのだが、親長州派の多田自身が身に危険を感じていた。多田は小五郎が出石に潜伏していることを知っていたが、幾松にあとを追わせれば、新撰組がさらに彼女をつけていくだろう。結局、長府の興膳五六郎(藩医、昌蔵の弟)や自分の愛妾などに幾松を加えて、6〜7人で京都を発ち、馬関に向った。

小五郎は出石に潜伏した年の暮れには、甚助・直蔵兄弟の援助によって「広江屋」という荒物屋を開いており、そこで竹細工や筵や米を売っていた。しかし、それ以前から幾松のことが気になってしかたがない。小五郎は甚助に手紙を書いた。
「京のこと、年内になんとかならないものでしょうか。たびたび申し上げるのも気の毒には思いますが、心中お察しくだされたく――」
幾松とはあからさまに書けずに、「京のこと」とぼかしている。
「日数も経っているので、どうなっているのかわかりませんが、くれぐれもお頼み申上げます。それまでは辛抱しますので、京都のこと間違わぬように、ひとへにお頼み申し上げます」と記したあとに、おもうほど、おもひがひなき、うきよかな、という句を添え、さらに追伸で、もう一度「京のこと、間違わないように頼み申し上げます」と念を押している。ほとんどあわれと思うほどに幾松を心配して、武士の見栄も体面もかなぐり捨てている。だが、さすがにあとで女々しいと思ったのか、翌日、直蔵宛に、
「昨日の甚助さんへの手紙はかならずお返しいただくか、破り捨てていただきたい。おとといの晩、眠れなかったのでつい書いてしまったけれど、今さら別に申すこともなく、野に倒れ、山に倒れてもさらさら残念には思いません。ただただ雪の消えるのを見てもうらやましく、ともに消えたいような心地がいたします」
と弁解の手紙を送っている。この時期は幾松の面影を追って、人知れず涙にくれていたのだろう。疑いようもなく幾松への深い愛情が感じられる。甚助は11月末には京都に行って、幾松が馬関に逃れたことを確かめ、翌年2月初めには馬関を訪れて幾松や村田蔵六に会っている。

幸いなことに情勢は好転して、幾松が出石まで小五郎を迎えにいき、二人は無事長州に戻ることができた。倒幕がなり、明治維新を迎えて、二人は正式に結婚するのである。二人の「命をかけた恋」は報われた。維新後も身体を休める暇もない夫を、妻の(幾松あらため)松子は気遣った。岩倉使節団の副使として外遊中の夫孝允に送った松子の手紙が宮内庁書陵部に保管されている。

「さぞさぞ知らぬ他国へ、余計のご心痛をなさっているものと、いろいろと案じております。どうぞ、どうぞあなた様にはあまり気を張り詰めないように、くれぐれもお願いいたします。お帰りになれば、どのようにもお世話いたしますから、どうぞ、どうぞ御身くれぐれもおいといなさいますよう、お頼みいたします。また、また、いろいろとご苦労をなさっていることはお察ししております。どうぞ、どうぞ、はやくお帰りになってください。くれぐれもお頼みいたします」

どん底の時代にも命がけで恋人を支えぬいた幾松の変らぬ愛情が、たどたどしい文面いっぱいにあふれている。最期まで隠棲を許されなかった木戸孝允の夢は、愛する妻松子と二人だけでゆっくりと過ごす時間を持つことだったのではないだろうか。二人で外遊する計画も維新政府は許可しなかった。多忙な夫の帰りを、ただひたすらに待ち続ける参議夫人松子。京都で勤皇志士・桂小五郎との逢瀬を楽しんだ時代が幾松にとっては一番幸福なときだったのかもしれない。宿命の恋は美しくも、哀しいものなのか……。

 * * *

注: 手紙の部分はわかりやすいように省略、意訳しています。 なお、幾松については本テーマ中の「広戸甚助と桂小五郎」、木戸孝允をめぐるなぜ、の「なぜ幾松と結婚したのか」、人物紹介・女性の項「木戸松子」もあわせてご参照ください。


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