6. なぜ芸妓幾松と結婚したのか?
なぜ、と問題視する必要もないかもしれない。 幕末以前には封建社会の底辺に押し込められ、「女は三界に家なし」と言われ、君臨する男の陰に隠れてほとんど見えなかった女性たちの顔が、幕末期に入ってから少しずつ見えはじめてきた。勤皇志士たちを支えた女性たちは、今日でもその名前が数多く伝えられている。美貌の聞こえ高い知恩院の太田垣蓮月尼、高杉晋作との繋がりが深い野村望東尼、「岩倉家の女参事」と呼ばれた松尾多勢子、等々。 しかし、なんといっても志士たちと、命がけで彼らを支えた芸者たちとのロマンスが一番興味をひくのか、時代映画やテレビドラマでもたびたび取り上げられてきた。坂本龍馬の危機を救ったお龍。高杉晋作と逃避行をしたおうの。そして、桂小五郎の亡命を助けた幾松。 幾松こと松(本名)は若狭小浜藩士木崎市兵衛の娘に生まれたが、生活苦のため一家は離散、三本木の置屋の養女となって芸者稼業に入った。14歳で二代目「幾松」を継いだ彼女は、やがて長州藩の桂小五郎を知り恋に陥る。「禁門の変」で窮地に陥った小五郎をかくまい、幕吏の追求にも臆せず、毅然として侠気にあふれていたために、追っ手もついに小五郎の探索を諦めたという。乞食に身をやつした小五郎に幾松がおにぎりを運んだという逸話は有名である。 やがて小五郎が但馬に亡命すると、自らも幕吏の追及の手を逃れて京都をはなれ、長州に旅立った。長州の情勢が好転すると、小五郎の同志たちに保護されていた幾松は、広戸甚助を伴って、小五郎を出石まで迎えにゆくのである。 このひたむきな女心に小五郎も胸打たれたに違いない。すべてを失ってどん底に落ちた男を、華やかな時代と変わらぬ愛情をもって支えた芸妓幾松以外に、だれが桂小五郎(木戸孝允)の妻になり得ただろうか。徳川幕府が磐石であった時代には、武士と芸者の結婚などあり得なかったが、小五郎の意識にはもう維新前から、身分の違いなどなくなっていたのだろう。木戸だけでなく、伊藤博文の妻梅子も元は芸者であり、維新の政治家たちで芸者を正妻に迎えた者は多い。波乱の時代に育まれた愛は強し! |