9. 外遊(岩倉使節団)後、改革の漸進論者になったのはなぜか?


木戸の予見能力はつくづくすごいと思う。絶妙のバランス感覚というか、洋化政策にしても、なにか間違った方向に進みそうになると、誰よりも先にそれを感知して警鐘を鳴らすのである。また、そうした知識を得る機会に偶然、必然にも恵まれるのだ。
岩倉使節団の副使として欧米巡視中に海外の留学生から得た情報は、今まで部下の伊藤博文や政府外交官の意見しか知り得なかった木戸にとっては実に貴重なものとなった。駐米外交官森有礼の欧米礼賛、日本蔑視に伊藤博文が同調するのを木戸は苦々しく思っていた。米国で条約改正交渉が中止されてからも、伊藤は日本をキリスト教国にするべきだとさかんに木戸に進言していた。日本がキリスト教国になれば、キリスト教国以外は野蛮な未開国とみなしている欧米人を満足させ、条約改正も容易になるというのである。

ベルリン滞在中の後輩品川彌二郎と青木周蔵をロンドンに呼んで、木戸はキリスト教について二人の意見を聞いた。青木ははっきり反対して、欧州の血なまぐさい宗教戦争の歴史を木戸に語った。
「日本で今、対外政略的な見地からキリスト教への改宗を国民に強要したら、国内いたるところに騒乱の発生をみることになりましょう。私は日本国民の一人として、そのような内乱を見るに忍びず、強いて実施するのであれば、まず私の首を刎ねてからにしていただきたい」
木戸はしばらく感に打たれたように沈黙していたが、会話の途中で部屋に入ってきた伊藤を、突然はげしく叱りつけた。
「在欧の学生は学識も深く、その言は理路整然としている。いまだ米国にも留学しない者が、みだりに同国の宣教師や浮薄な政治家の意見を聞いて、これに動かされ、国家を乱すような軽挙をなしてよいものか。青木氏の論ずるところと貴公常の所説とは、まったく正反対ではないか。貴公の言葉はいっさい信用できない」
あまりの怒りのすさまじさに、一同呆然として声も出なかった。

木戸と伊藤の仲違い、伊藤の大久保への接近は実にこの事件が原因していたと言っていい。木戸は将来、政権の中枢に座るであろう伊藤博文の軽薄な拝外主義に警告を与えたのである。米欧滞在中、洋化派の言動に木戸は批判的になっていた。西欧と日本とのあまりにも大きな工業力の差に驚いて、自国の文明そのものを否定するようになっている洋行経験者に懸念を抱いたのだ。そうした者たちが日本を侮ることは、将来アジアの後進諸国をも侮ることになりはしないか。
白亜の城郭など日本の伝統美は破壊されている。雷同流行みだりに外国の声色をつかい、外国の身振りをなし、云々、と木戸は井上馨宛の手紙で語っている。うわべだけの文明開化が日本をどのような方向に導いてゆくのか――のちの「鹿鳴館」の虚飾と茶番を木戸は見通していたのかもしれない。

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