<連載小説>

維 新 の 恋 (晴湖と松菊)


(14) 失意のとき

木戸、板垣の政府復帰の決定をもって大阪会議は終結した。大久保は2月18日に帰京し、木戸は隠棲の地と定めて、京都土手町に購入していた家を実見して数日間の静養後、2月24日に伊藤と井上を伴って東京に入った。大久保のあとに伊藤が残ったのは、やはり木戸が東京にもどるまで安心できなかったのだろう。
木戸はようやく帰京し、早速押しかけてきた大勢の来客を応接し、天皇、皇后両陛下にも拝謁した。3月1日には再び大久保と逢って政府上の秘事を話しあい、最後の駄目押しとばかりに自分の意見をくりかえし述べた。木戸のこの心配性としつこさには大久保もいささか閉口したが、ここはぐっとこらえて、すべてを承知している旨を述べて、木戸からは改めて復職の確約をとりつけた。

午後3時ごろより木戸子(氏)入来、云々(うんうん)示談、当人復職承知これ有り、安心いたし候――と大久保は3月1日の日記に記している。

木枯らしが吹き荒れたかのような長い冬がすぎ、やがて庭に鶯の声を聞き、早春の花々がいっせいに咲きだす季節をむかえた。自邸の窓から眺める東京の空は青く晴れわたっていた。今度こそ念願の立憲民主政治への漸進的な移行が叶いそうだと、帰京時には木戸の気持ちも高揚していたが、ことは思うようにすんなりと運ばず、政治上の春はすぐには訪れそうになかった。朝食を終えた参仕前のひととき、
「あなた、お体はだいじょうぶなのですか?」
以前と同様、忙しく動きまわる夫を心配して、松子が背後から呼びかけた。
「ああ、だいじょうぶだ。今、倒れるわけにはいかないからね」
「でも、この間も体調をくずされて、お休みになられたではありませんか。それでもお客様とは面会されてお話しになる。それではご疲労が溜まってしまいます」
「なんとか新しい体制を軌道に乗せるまでは、そうゆっくり休んでもいられないのだよ。とにかく私が言い出した政府改革だから、責任はとらないとね」
確かにそれはそうなのだが、板垣一派がはやくもいろいろと難しい注文をつけて、夫を悩ましていることは、松子の耳にも入っていた。でも幕末のときのように木戸をかばう役割を演じることもできない。彼女はただ参議夫人として、夫の後ろに控えているしかない毎日だった。

「大普請(おおぶしん)、 まず板垣と木戸が出来」とは大阪会議の結果から、一般に流布された句だが、木戸、板垣が参議に復して、これからが本格的な建設になるところだろう。しかし、各人の性格、政見は三者三様であり、寄合所帯の観は免れなかった。制度改革の順序や元老院の人選などでは、はやくも意見が合わず、しかも木戸は棟梁の立場から異なる意見をまとめて、うまく折衷しなければならず、その苦労は並大抵ではなかった。大久保、板垣に、さらに岩倉右大臣、島津左大臣が加わって、それぞれの意見に固執するのだから、なんとか妥協をはかり議員の任命にまでこぎつけても、各人がうちに不満を抱えたままになるのは、なんともしようのないことだった。
そもそも岩倉は大阪会議の結果自体が気に入らなかった。木戸を連れ戻しに行ったつもりが、「明治6年の政変」で自分が苦労して退けた民権派やら征韓論者やらが木戸の後ろに連なって、ぞくぞくともどってきたのだから、岩倉にとっては悪夢以外のなにものでもなかっただろう。それで4月には辞表を提出し、以後「われ、関せず」といった態で9月になるまで参朝しなかったのである。

大久保はといえば、板垣の饒舌にたいしては寡黙を押しとおし、木戸にすべて下駄をあずけたという態度に終始した。そのくせ、人事問題になると、大阪では「万事、木戸の後に従ってゆく」と言っておきながら、木戸の希望を容易に入れようとはしなかった。板垣は背後の民権派勢力に押されて、いよいよその急進論の矛先を尖らせてゆく。内閣諸卿の分離などは各派間紛糾の最たるもので、三条太政大臣は人事に加えてこの問題にも苦慮し、「板垣、木戸の際は破れても致しかたないが、木戸、大久保の間が破れては大変なことになる」と伊藤博文に憂慮の念を吐露する手紙を送っている。
この分離問題は大阪会議の約束事であったから、板垣が「待てしばし」もなく要求してきたのは無理からぬことだった。だが、大久保がそう簡単に内務省を手ばなすはずもなく、立案者である伊藤にしても、工部省をいさぎよく去る決意はもちあわせていなかったのだ。ただ木戸を政府に復帰させたいがために、一時的な方便として持ち出したというのが実情だろう。もとより木戸も分離論者であったが、何事も穏便に改革してゆきたいという立場だったから、板垣の性急さにも困惑し、大阪会議で了承済みの漸進論に背くものと思えたし、その一方で大久保の態度の煮え切らないことにも焦慮していた。
そうした中で、三条が提示した折衷案は三者が満足できるような内容ではなく、木戸のほうから三条に、大久保、板垣を呼んで話し合うことを提案した。が、三条は、大久保、板垣間で協議しても、妥協の余地はないだろうと賛同しなかった。木戸もまた内心では両者の調和が難しいことを悟っていた。もはや政府内での大久保、板垣の並立は不可能であることを認めねばならなかった。そして、現在の政府内の紛糾は板垣を復職させた自分に責任があると深く思いつめるようになったのである。この間に地方官会議が7月17日に閉会して、木戸は議長としての勤めからは解放されており、開会当初よりは身軽になっていた。

9月5日、木戸は板垣、大久保を訪問してその心情を明かした。すなわち、「自分の在職はいたずらに内閣の混乱をまねき、政務の進行を阻害するだけなので、辞職する」と――。この木戸の決意を聞いて一驚し、慌てふためいたのは大久保である。彼はすぐに三条邸に赴いて木戸の慰留について相談した。また、伊藤を私邸に呼んで、責任は伊藤にもあるとして、木戸引き止めの尽力を乞うた。またしても、伊藤は両者間を緩和するべく奔走しなければならなかった。伊藤は木戸を訪ねて、大久保の苦衷を切々とうったえ、三条とも相談し、両者をなんとか三条邸で会談させるところまでこぎつけた。
木戸は大久保を前にして、それ以上辞職の決意を強調することはしないで、いささか気持ちを和らげたかのように振るまった。だが、彼の気持ちに変化はなく、9月末には「浪華の一條は一生の大失策だった」として、辞意の意思を改めて手紙で伊藤につたえたのである。
ところが、その後、時局は大久保に味方するかのような展開をみせた。木戸の辞意をとどめるほどの事件が発生したのだ。ひとつは、朝鮮の江華島で日本船が砲撃を受けたたことで、いまひとつは、島津久光と板垣一派連携の動きだった。この話しを伊藤につたえたのは岩倉である。この夏中、冬眠ならぬ夏眠状態だった岩倉は、政府の危機を敏感に察知するや、にわかに動き出した。木戸、大久保、板垣間の紛糾に乗じて、政府の近代化政策に不服の保守派が三条太政大臣を排して、島津をその後釜に据える計画を進めているというのだ。さらに驚くことに、その守旧派と急進派の板垣一味が気脈を通じ、倒閣を企てているから、閣僚は一致協力してこの陰謀を粉砕しなければならない。そういう岩倉の意を受けて、伊藤はただちに木戸を訪ねてこの話しをつたえ、その辞意を翻すように懇請した。
木戸も驚きを隠せず、しばらく二の句がつげなかった。民権派や征韓論者が最初から政府乗っ取りを計画していたのなら、自分はただ利用されただけではないか。しかも極左と極右が組んでの謀(はかりごと)とは呆れ果てる。ここは政府に協力するしかないだろう――。しかし、伊藤への手紙には「この一事が鎮定されたら、すぐにお暇を願いたい。持病の脳疾も悪化しているので、無理に引き止められるのは拷問も同様なので、このこと大久保にもきっと伝えてほしい」と釘を刺すことを忘れなかった。
それでも木戸はまだ心配で、ちょうど大久保が訪ねてきたのを幸い、「辞意の撤回は一時的なことなので、誤解のないように」と説明して、相手の了解を無理やり取りつけたのである。木戸はこの後における大久保のしつような引留工作の再現を怖れたのであり、伊藤には再度手紙を送って、
「自分の思っていることは10分の1も徹底しないので、ただ嘆くほかなく、面目もなく、このうえは狂人になるほかない。日頃より病弱で満足にご奉公もできないので、なにとぞ大翁(大久保)にもいま一度ご承知くだされたく、流涕(りゅうてい)してお願い申し上げる」と訴え、さらに追記の最後には、「号泣してお願い申し上げる」とまで記してあり、ほとんどヒステリー状態に近くなっている。
伊藤と井上は、この神経過敏症の木戸と鋼鉄のような大久保との間を周旋して、調和させなければならなかったのだから、その苦心、苦労も並大抵ではなかっただろう。

木戸さえ政府に留まれば、大久保や岩倉にとって、もはや島津、板垣はじゃまな存在でしかなかった。ことここに至っては、「一刀両断のご処分のほかなし」ということで意見が一致した。その後、三条太政大臣を弾劾し、政府の権力を握ろうという島津・板垣組の企ては、木戸の協力を得た岩倉・大久保ラインの工作によって、ことごとく粉砕されることとなった。10月22日、島津久光と板垣退助はついに辞表を提出。辞表は既定の方針どおり裁可され、民権、征韓、封建党を代表する両者はともに敗者として廟堂を去ったのである。
この結果をみれば、大阪会議は総じて失敗に終わったといえるだろう。板垣はその目的をまったく果せずに下野し、木戸の漸進論の実現は板垣、大久保両陣営によって反故にされた。ただ大久保側だけはこの後、参議を辞した木戸を内閣顧問として政府にとどめ、死に至るまで彼を手ばなさなかったのだから、この点においては勝者といわねばならない。
この一連の騒動で、木戸自身は政府派と民権派の双方から非難の集中砲火を浴びることになる。政府側は危険な民権派を政府に引き入れたことを非難し、板垣ら民権派は木戸を裏切者と罵った。どちらが裏切者か、彼らに信義はないのか、と悔しさと憤りに木戸の心はかき乱された。

「今度ばかりは木戸も懲りたろう」
と岩倉は大久保に語りかける。
「木戸は甘いのですよ。民権派を信じすぎて用心が足りなかった」
木戸は愚痴っぽく、なにかと小うるさいところもあるが、それさえ我慢すれば信頼に足る人物だと大久保は思っている。どれほど対立しようと乱暴な謀はしないし、政府の危機ともなれば全力で協力してくれる。自分にたいして大いなる不満を抱いても、木戸はけっして自分を裏切ることはないという安堵感があった。もちろん長州閥の領袖としての利用価値はいうまでもない。
一方、木戸は大阪で伊藤と大久保にいっぱい食わされたのだと悟り、悔恨の念を禁じ得なかった。のちに、彼はその悔しさを知人への手紙に書いた。「浪華の甘言に迷い候は、実に小生の不明の極みなり」とか「浪華においても大久保、始め言葉は丁寧きわまり、満身汗を生じ候心地いたし申し候。しかし政府へ一度出候のちは、全く無銭の田舎野郎が全盛の青楼に登りし形況のごとく、汚辱を受け、云々」と強烈な言葉で気持ちを表している。

木戸にたいしては世間も冷たかった。大久保の専制政治になんども抵抗の構えをみせながら、政府が危機に見舞われると、結局は大久保に寄り添い、彼に協力してその独裁性を支える役割を果たしてしまう。結果的にそうなることがわかっていても、木戸はそうせざるを得ないのだ。大久保の哄笑が耳鳴りのように聞こえてくる。いくらもがいても、自分はもうこの立場から逃れることはできないのか。
彼は激しい疲労を覚え、孤立感とともに、失意の底に沈んでいく感覚に捕われていった。

(15) 一夜の夢

島津、板垣が職を辞して以来、世情は騒然としていた。政府に不平の徒が各所で集会をひらき、しきりに人心を煽動して、なお内閣の倒壊を企図するものが後を絶たなかった。木戸はこの状況をひどく憂慮していた。もし内乱で現政府が転覆し、新たな政府ができれば、さらにまた新たな不満分子がこれを倒さんとして、内乱が繰り返されるだろう。誰が政権を握ろうと、すぐに世の中が薔薇色に変わるわけではない。百年先を見据えた政治体制の確立、社会のインフラ整備、産業の振興、不平等条約の改正等など、やるべきことは数多あった。今、政治の安定がなければ迷惑するのは人民であり、国の衰亡にもつながりかねない。さらに、日本をとりまく環境は日々悪化しており、一日たりとも政治の空白があってはならないのだ――。政府内外からの怨嗟を一身に浴びてもなお、木戸孝允はそんな危機感にとらわれて、辞職を思いとどまざるを得なかった。
そんな木戸を心配して、九段の木戸邸を訪ねてきた男がいた。木戸とは以前から親交のあった福沢諭吉である。福沢は木戸の窮状を見かねて、参議の辞職を助言したのである。
「お辞めになったほうがよろしい。このままでは貴方に非難が集中して、今後のためによくありません」
木戸は黙って聞いていた。
「わからないのですか。貴方は岩倉、大久保に利用されている。彼らの独裁政権の楯にされているのです。このまま政府に留まっていても、貴方が深く傷つくだけです」
「ご親切には感謝いたします。しかし、私は今、辞めるわけにはいかないのです」
苦渋に満ちた表情で木戸は言葉をつまらせた。木戸の心配は内乱の問題だけではなかった。朝鮮で勃発した江華島事件で再び国内に征韓論が沸き起こっていたのである。彼はこれを憂慮し、「すぐに兵を起こすべきではない。まず、使節を派遣して平和的な解決をめざすべきである」との意見をのべて、自らその使節になることを切望していた。ちょうど木戸がさかんに辞意をほのめかしていた時期だったので、三条と岩倉は相談のうえ、木戸の乞いをいれて朝鮮使節に任命することにした。木戸の朝鮮派遣については、井上はじめ、周辺の者たちが反対していたのだが、本人の決意があまりにも固く、これを阻止されれば、直ちに辞職しかねない様子だったので、伊藤や大久保も「やむを得ない」という結論を出したのである。
ところが、ほとんどその準備も整ったという時期に、突然、左足が麻痺して歩行が困難になってしまった。木戸は以前にも足の麻痺を経験しており、いわば持病のひとつが一番大事な時期に再発したということになる。とても朝鮮に赴くどころではなく、彼は憂慮と焦燥のなかで自宅で静養しなければならなかった。福沢の訪問はまさにそんな時期であり、朝鮮問題先行きの心配もあって、とても辞任できる状況ではなく、また、そうした心境にもなれなかったのだ。
だが福沢には、満身傷ついたような木戸の様子があまりにも痛々しかった。
「そんなお身体ではどんなご活躍ができるでしょう。今はすべての職を辞して、ゆっくり養生し、ご病気の治療に専念するべきではないでしょうか。今のあなたのお立場を、私は見るに忍びないのです。大久保はあなたをいいように利用しているだけではないですか」
木戸はすこしためらいながらも、弁明した。
「確かに、大久保とはまったく意見があいませんし、性格もあまりに違いすぎます。それを苦痛に思わないといったら嘘になりましょう。しかし、それでもこの政府を潰すわけにはいかないのです。私は、それでも、私は――」
そこまで言って木戸は絶句した。たとえ今、どれほど自分に非難が集中しようとも、大久保と袂を分かつことはできない。たとえ大久保とは同床異夢であっても、彼に協力して、未だゆくえ定まらぬこの維新政府をしっかり支えていかなければならない。木戸は心の中でそう続けていた。互いの憎悪を超えて幕末に結んだ薩長同盟の絆は、なお建設途上の国家を支える絆であり、木戸と大久保を結びつける個人的な絆でもあった。自ら招いたこの針のむしろに木戸はなお耐えて、すわり続けなければならなかった。

うとうとと眠りかかっていたころ、奥原晴湖は襖のむこうから自分を呼ぶ声を聞いた。起き上がって襖をあけると、「木戸様がお見えになっておられます」とおでんがうろたえたような口調で告げた。
「あの、そうとうに酔っていらっしゃるようです。杖をついて、足もよろしくないご様子で――」
おでんが言い終わるまえに、晴湖は寝巻姿のまま玄関にむかって走りだしていた。木戸は玄関の上框に腰掛けて、使用人の留八がもってきた湯呑みの水をごくごくと飲んでいた。その湯呑みが木戸の手から滑って土間に落ちた。ガチャという音とともに、湯呑みは3、4片に割れ、白い破片がとび散った。
木戸は酩酊していた。自分では靴も脱げなかったので、おでんと留八と3人がかりで木戸の靴を脱がして家にあげた。
「書斎に座布団を揃えておいて」とおでんに指図すると、留八と二人で木戸を両側から支えて、客間ではなく、寝室のとなりの書斎に導き入れた。おでんが3、4枚ならべておいた座布団のうえに、木戸は崩れるように横たわった。おでんと留八が遠慮してすぐに部屋から出て行くと、彼は赤く充血した眼を空中に泳がせた。
「松菊、松菊」
と晴湖は傍らにすわって木戸を呼んだ。木戸の視線が動いて、ようやく晴湖をとらえた。部屋にはかすかに墨の匂いがする。
「君か、晴湖?」
晴湖はだまってうなずいた。二人はしばらく無言で見つめあった。すると、木戸の眼がみるみる涙に潤んできた。「晴湖よ」とかすれた声をあげ、
「俺は狂いたい」
彼の眉間に苦悩の皺がふかく刻まれる。
「いっそ、狂ってしまいたい……」
瞳のなかになお残るかすかな炎が、涙に滲んではかなく揺れた。連れて行ってくれ、と木戸は言った。
「君の画の世界に。遠い山水のはるか彼方に――」
晴湖はだまって自らの身体を木戸の胸にそっとあずけた。彼はやさしくその温かい命を抱いた。
「晴湖、わが断髪の麗人……」
彼は微笑みながら、彼女の耳元でささやいた。触れあう魂を二人は感じ、明日を忘れてたった一夜の見果てぬ夢を貪った。

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