[小説・木戸孝允]

明治六年秋

(十一) 両雄対決!

 留守政府のメンバーと外遊組の大久保、岩倉らが初めて一堂に会した十月十四日、その閣議において政府大分裂の序曲がまさに奏でられようとしていた。出だしは静かに、やがてその音量は増して、西郷と大久保の激しい舌戦となってゆく――最初に発言したのは岩倉右大臣だった。
「樺太におけるロシア人の日本人に対する暴行、台湾土民による琉球漂民の殺害、そして朝鮮への遣使はいずれも重大な問題である。しかし、朝鮮遣使よりも、樺太の事案を先に処分するべきではないかと存ずる。樺太の国境線があいまいでは、露国との紛争も治まらず、そうなれば朝鮮をかえりみるどころではなくなる」
 この岩倉の論には西郷がさっそく反論した。
「樺太の件は出先官憲が起こした暴行事件だが、朝鮮の問題は日本と朝鮮両政府の国際紛争であり、皇威の隆替、国権の消長にも関わること。すでに遣韓使節については内定済みであり、すみやかに決行するべきである。どうしてもロシアの処分が先だというなら、私を遣露使節に任じてもらいたい」
 西郷の意見にこんどは岩倉が、
 「しかし、これは外務卿の管轄である。外務卿が露国と話して決着をつけ、さらに日朝間の問題には中立を守るように働きかける。その交渉には時間がかかるから、その間に内治を整え、外征を計画する実力を養えばよい」
 相手の希望を退けるべく持論を展開する。すると西郷はその巨眼をさらに大きく見開いて、戦略的な意見を述べはじめた。ロシアはたしかに脅威である、と彼は言う。だからこそ朝鮮問題を先にかたずけておくべきである。ロシアの侵攻を北海道で防ぐのは困難であり、もしロシアと交戦におよぶなら、朝鮮を経由して極東の拠点を衝くほかにみちはない。たとえ負けても朝鮮を抑えておけば、守備や後退作戦上も有利であり、時間をかせげる。その間に内外の情勢が変わり、露国に民衆蜂起があるか、イギリスが介入してくるに違いない。イギリスと交渉してかの国を味方につければ、露国怖るるに足らず、というのが西郷の論理であり、彼はさかんに征韓を唱える不平士族に配慮するばかりでなく、陸軍大将として戦略上の構想をしっかり練っていたのである。
 西郷にそこまで言われると、軍事は専門外の岩倉としては反論もできずに、ただ困惑するばかりだった。それまで黙ってふたりの口論を聴いていた大久保が、
「朝鮮に使節を派遣するならば、戦いを覚悟しなければなりません」
 岩倉から選手交代のバトンを受けるように口を開いた。西郷との直接的な対決を避けようとしたのか、彼は岩倉に向かって話しを続けた。
「現在のわが国の情勢では、内治を整えて、国力の充実を図り、そのあとに外に及ぶのが順序でありましょう。いま朝鮮との談判が決裂し、戦争となれば、軍艦、武器、弾薬などすべて外国に頼らざるを得ません。しかし、すでに日本の外債は五百万両に達しており、それ以上借りても返済の見込みはなく、いずれ日本も、朝鮮も、かつてのインドのように独立が保てなくなりましょう。実に国家の一大事、まずは内治を整えることが急務と存じます」
 大久保も確かな根拠をもって征韓論に反対していた。だが、西郷はまっすぐに大久保に向かって、
「貴公はなにか勘違いをしている。遣韓使節についてはすでに前の閣議で決定しているのだ」
 腑におちぬというように反駁した。大久保は初めて西郷をまともに見た。
「前の閣議がどうだったかは、拙者の知らぬこと」
 大久保の言葉に、西郷はにわかに色めき立った。
「そりゃ貴公、本気で言わっしゃるのか」
 ふたりの間に張りつめた空気が流れた。
「拙者どもも参議でござる。貴公らが不在じゃからとて、国の大事をなげうっておいては、拙者どもの職分が立ち申さぬ。留守の参議が決めて、なんの悪かこつがごわす。三条太政大臣もご同意で、すでにお上もご裁可くだされたことでござるぞ」
 西郷はやや興奮し、おもわずお国言葉がまざった。
「拙者どもの不在中は、大事件は決めぬという約束ではござらぬか」
 大久保も負けてはいなかった。
「誰とさような約束がござる」
「留守の参議諸侯とでござる」
「誰かの発議でそんなこともあったが、それは無理と申すもの」
「そりゃ今になって卑怯でござろう」
 西郷の目玉がぎろっと鋭く動いた。
「お控えなされ。誰が卑怯か、おはんの胸に問うてみなされ」
 拳でテーブルを叩きながら、西郷は顔を赤くし、同郷の友を睨みつけた。一同はしんと静まり返って、ひと言も発しない。両者はもはや、一歩もあとに引けない状態であった。大久保と西郷はすでに基本の国家構想からして異なっていた。西郷は財政や軍事力の実情よりも、先手必勝で、まず行動を起こすことで活路を見出そうとしていた。いや、負けてもよかった。たとえ百戦百敗しようとも、民族の士気や勇猛な精神が日本を焦土から救うと信じていた。出世主義や利権にはしる官僚や、商魂をたくましくする新興実業家が支える国家は彼のめざす理想の国家像ではなかった。高邁な精神と高い倫理観をもった日本人を養い育てることこそ、彼の掲げる維新の理想であったのかもしれない。
 だが、大久保は現実主義者であり、実務家である。政治は実務であり、精神論ではなにも機能しないと思っている。たとえ放蕩家であっても政治的に有能であれば、大いに使って国家に役立てばよいのだ。大隈、伊藤などはその好例かもしれない。

 西郷と大久保の論争については、のちに板垣が、「感情に馳せて、ややもすれば道理の外に出て、一座呆然として嘴(くちばし)を容るるに由なき光景たり」と述べている。双方の意見は根本から異なり、まじわる接点がない。あとは、相手の弱点を衝くほかなかったのか。西郷は大久保を「薩人一の臆病者」と罵り、大久保は西郷の強引さをわがまま勝手とみて攻めたのか。いずれにしても、ふたりの論争をだれも止めることができない状態であった。
 その間に大隈が時計を取りだし、なぜかそわそわし始めた。ついに起ちあがって、
「三条公に申し上げます。私都合により、これにて退席いたします」
 三条が「左様ですか」と言ったので、大隈は会釈して、椅子から離れかかった。
「大隈さん、どちらへ行かれる」
 声をかけたのは西郷だった。大隈は振りかえり、
「横浜の外国人から招かれておりますので」 と答えた。
「なんの用事ですか」
「夜会があって、招待を受けておりますので」
「黙りなさい」 突然、西郷が大声をあげた。
「貴公は参議ではないか。国の大事を評議中に、異人の招きごときで中座するとは何事か。もってのほかだ、馬鹿なっ」
 西郷の怒りの一喝に大隈は動くこともできず、そのまま椅子に座りなおした。その場に生じた気まずい空気をなんとかしようと思ったのか、そのとき板垣が起って発言した。
「大久保参議にお訊ねしたい。その内治の整備だが、どういうふうにやられ、いつまでかかるのですか」
 板垣の問いに大久保は、まず内務省を設けて、そのあとに詳細な改善事項を定めたい、と答えた。その設置には幾日ほどかかるのか、とさらに板垣が訊くと、大久保は「およそ五十日ぐらいでしょうか」と答えた。こんどは、副島がすかさず口をはさんで、
「では五十日として、その後の使節派遣には同意する、ということでどうでしょうか」
「そりゃ、いかん。そげん引き延ばすことはできもはん」
 大久保が答えるまえに、西郷が断固として延引はできないと言い張った。その後、彼は眦を決して、
「拙者の意見が行われぬなら、やむを得ません。職を辞するよりほかない」
 この西郷の発言に、一同は驚愕した。そこまで彼の決意が固いとは思わなかったのだ。のちに板垣、副島が彼を別室に呼んで、もし貴公が辞められるときは、拙者らも進退をともにしよう、と申し出た。板垣はクーデターを想定していたのかもしれなかった。西郷はそれに答えて、
「拙者の進退は自己の良心にしたがって決するだけです。両先生がこの西郷と去就をともにするとなれば、あたかも私党を結んで国政を動かすがごとき観を呈することになりましょう。拙者はそれをいさぎよしとはいたしません」
 きっぱりと断った。

 結局、この日は両者ともに譲らず、結論は翌日に持ち越されることになった。西郷の辞任の決意を聞いて、いちばん動揺したのはおそらく三条と岩倉だっただろう。彼を征韓派から引き離して味方につけ、政府を改造しようという計画は不可能になった。とくに三条はこれまでの経緯もあり、かつ今後の容易ならぬ事態を予感して、内心戦慄していたのである。


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