[小説・木戸孝允]

明治六年秋

(十四) 疑惑

 渦中の人、西郷隆盛はこうした反征韓派の水面下の動きを、はたして感知していたのだろうか。それを知るすべはないが、少なくともこの間、西郷が自分の意志貫徹のために、なんらかの画策を試みた形跡はみられない。あるいは、何ぴとも自分の進路を遮ることはできぬ、という確固とした自信があったのか。知り尽くしているはずの大久保の気質、知略を改めて想起し、こうした事態に彼がどう対処し得るかについて、西郷も、西郷を支持する者たちも空想さえしなかったのだとしたら、その時点で征韓派は敗れていたといえるだろう。だが問題はむしろ反征韓派陣営にあったかもしれない。西郷、あるいは彼の朝野におよぼす影響を怖れる岩倉の微妙な心理を推し量れば、大久保はなお一抹の不安を拭いきれなかった。

 明治六年十月二十日、午前十一時。天皇は赤坂の仮御所から出御し、三条邸に臨幸して実美の病を見舞った。次に馬車が向かった先は二重橋前の岩倉邸であった。供奉していたのは宮内少輔・吉井友実で、直ちに具視に勅語が下された。病に罹った太政大臣に代わり朕が天職をたすけ…云々という内容で、岩倉は正式に太政大臣代摂の命を受けた。もともと吉井は西郷の渡韓を危ぶんでいたが、天皇が臣下の私邸に赴くことについては宮内省中でも議論が生じていた。しかし、最終的には岩倉に代行させることが決まって、三条、岩倉邸への行幸が実現した。大久保の密命を受けた黒田の労は報われたのである。

 宮内省の工作に成功した大久保は、猶予をおかず次の手を打つべく伊藤に手紙を認(したた)めた。最初、大久保は伊藤を自宅に呼ぶつもりだったが、他の来客があることを恐れ、場所を売茶亭に変えて招いた。
 謀(はかりごと)は密ならざれば害なりとの義もこれあり、何とぞご放恕下さるべく候。
 という言葉で文末を締めくくっている。同日(十月二十一日)、大久保は小西郷(隆盛の弟、従道)にも手紙を送って会談を求めた。従道は兄の渡韓には反対だったので、弟の立場であっても大久保側に寄っていたのだ。

 一方、伊藤は前日に木戸邸を訪れ、それまでの経緯を詳しく報告していた。だが、木戸は岩倉の決意は聞いたものの、相手陣営の多勢に対して味方の無勢に不安を抱いていた。そこで彼は、伊藤を参議に推挙して岩倉を補佐させようと考えた。岩倉宛の手紙に、木戸はまず「大久保参議と十分に懇談のうえ、この機会を大切に〜」と岩倉を激励したあと、自分が変病に罹って起座もままならないことを慨嘆し、「伊藤博文儀は孝允十有余年の知己にて、兼てご承知のとおり、剛凌強直の性質でありますが、近ごろは専ら意を沈実に用い〜 この際ご登用たまわれば、必ず一臂の御用も勤めるものと存じます」
 と書いて、自分の代わりに伊藤を重要な場面に立ち合わせようとした。

 木戸にはもうひとつ、別の心配事が重なっていた。すでに京都府と京都裁判所の紛争についての臨時裁判が始まっていたが、十月十七日の第二回公判で、京都府参事・槇村正直が身柄を突然拘束されてしまったのだ。この裁判は参座(陪審)制をとっており、木戸は公開裁判を望んでいたが、実際には非公開に決していた。参座制を採用したのは、一方の当事者である京都裁判所が司法省と密接な関係にあったので、裁判の公正を期するためであった。しかし、公判での力関係は明らかに槇村側に不利であり、彼は取り調べも受けず、自白もしないままに、とりあえず有罪とされて、司法省の仮監獄に収監されてしまった。

 木戸は憤りにふるえたが、どうすることもできなかった。司法省を牛耳る江藤新平の自信に満ちた顔を思い浮かべ、彼は深いため息をもらした。実は、ひと月ほど前に、木戸は江藤の来訪をうけ、ふたりは直接会談していた。「司法省のやり方は少々強引ではないか」と木戸が苦言を呈すると、「京都裁判所の判決に従わなかった以上、やむを得ない」と江藤は答え、すこしも譲る気配がなかった。もはやふたりの間には、昔にもどれない深い溝ができてしまったようだった。
 帰りぎわに江藤はドアの手前で振りかえり、
「木戸さん、あなたには恩を感じている。だが、それと、これとは別件です。あなたの部下をもうすこし教育されたほうがよろしいのではないですか」
 暗に槇村の法権を侮辱する傲慢な態度を批判した。昔(文久二年)、江藤が佐賀藩を脱藩して京都に潜入したとき、彼を庇護し、かくまったのは当時の勤王派のリーダーたる桂小五郎(木戸の旧名)だった。鳥羽・伏見の戦いに勝利し、新政府に江藤を推挙したのも木戸だった。いまは図らずも、征韓論に加えて後輩の問題で対立することになったが、木戸は江藤の才能を高く評価していたのだ。

 頭痛と不眠症に悩まされながら、一方では征韓派と対抗し、一方では臨時裁判の行方を気にかけなけながら、彼は思うようにことが運ばない状況で焦燥していた。
 ――向うには司法省がついている。では、こちらは府県を管轄する大蔵省の支援を得られないものか。
 思案する木戸の閉じた瞼に大蔵卿・大久保利通の顔が浮かびあがる。表情には乏しいが、泰然自若とした様子は頼りがいを感じさせもする。木戸は自分の身体がゆるせば、すぐにでも大久保の屋敷に赴きたい衝動にかられた。だが、その日もホフマン、司馬両医師の来診を受けており、それを簡単に実行できるほど彼の健康はまだ回復していなかった。代わりに、行ける者は――。
「伊藤よ、君からそれとなく大久保に頼んでくれないか。例の裁判のことだがね」
 木戸の問いに、伊藤が眉を上げてみる。
「なにを頼むのです?」
「つまり……裁判の支援を…」
「木戸さん」
 伊藤が遮るように声をあげた。
「お気持ちはわかりますが、今はこちらの問題のほうが大事ではないですか。大久保さんは目下、全力で征韓派と対峙しているのですから、他の問題にかかわっている余裕などないと思いますよ」
 なんとか征韓派の野望を阻止しようと、木戸、大久保、岩倉間を飛びまわって、連携の強化に努めている伊藤としては無理もない言い分だった。しかも、重大な局面を迎えようとしている矢先である。さすがに木戸も察して、それ以上の主張はひっこめたが、悩ましい表情は終始消えることがなかった。

 伊藤と大久保が売茶亭で密談したのはその翌日である。大久保の顔をみるなり、伊藤はなにかしら深刻な表情を読み取った。
「なにかあったのですか?」
 伊藤の早速の問いに、大久保は「うむ、実は…」と語りはじめた。参議兼外務卿・副島種臣が、「岩倉が太政大臣を代行するなら、もう一度閣議を開いてこの問題を議決する必要がある」と言い出し、西郷、板垣、後藤、江藤らも副島の意見に賛同したようだ、という話で、さすがの大久保も不安な気持ちを隠せなかった。再度の閣議となれば、そこに反対派はひとりもおらず、岩倉はまたしても西郷らに圧されて同調してしまうのではないか。岩倉が再び変節しかねないことを、大久保は恐れていた。
 大久保の疑惑は、すぐさま伊藤にも伝染した。
「それはまずいですね」
 伊藤は腕組して考えこんだ。もはやこれ以上の閣議は無益であると、両者とも感じていた。岩倉は直接天皇に両論を説明しながら、自らの意見を述べて、その場で聖断を仰ぐべきだ。そうでなければ、岩倉を太政大臣代摂にした意味がなくなるのだ、と。
「閣議を開かせてはならぬな。なんとしても阻止せねば」
 重い口調で大久保がもらすと、聞き手は敏感に反応した。
「わかりました。私がこれから岩倉大臣を訪ねて、なんとか説得してみましょう」
 伊藤は自分の役割を察し、強ばった表情で答えた。

 その日のうちに、伊藤の姿は岩倉邸に現れた。そこで、彼は邸の主に「閣議を開かないでいただきたい」と頼み、その無益なることを説いた。
だが、岩倉はなぜか明瞭な答を伊藤に与えなかった。はっきりしない相手の態度に、伊藤の疑惑は急激に膨らんでいった。
――ひょっとしたら、岩倉はすでに西郷らと通じているのではないか?

 やはり、岩倉は西郷が恐いのだ――。そう思うと、岩倉邸をあとにした伊藤は直ちに木戸邸にはしった。もはや万事休した、と彼は絶望的な気持ちで木戸の眼前に立ちつくした。
「どうしたのだ、博文。そんなに蒼い顔をして」
 木戸はいぶかしげに訊ねた。
「もうだめです。副島の意見に他の参議らも賛同して、閣議が再開されるのです。岩倉大臣もこれを許したそうです」
「なんだって?」
「我々は岩倉に裏切られたのです」
「まさか…」
「もはや万事休しました!」
 そう言うと、伊藤は感情を抑えきれず、わっと床に突っ伏して泣き出した。普段は陽気な男の号泣をはじめて耳にしながら、木戸は呆然とその場に立ちつくしていた。(つづく)


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