[小説・木戸孝允]

明治六年秋

(二) 佐賀人

 留守政府のメンバーに大隈重信という佐賀藩出身の政治家がいた。のちに「明治十四年の政変」で下野し、立憲改進党を結成、早稲田大学(旧東京専門学校)を創設した人物である。彼は維新当初からその外交、財政面での手腕を高く評価され、外国事務局判事、大蔵・民部大輔などの要職に就き、急進改革派の先頭を切って活躍していた。若いころから行動派で、藩校・弘道館で教わる朱子学や佐賀藩士の心得を説いた「葉隠」(はがくれ)に疑問をいだき、学校制度の改革を企てて退学させられた経験がある。のちにはその才能を評価されて教官に任命されるのだが、蘭学よりも英学の重要性を藩に説いて、長崎に致遠館(ちえんかん)という英学校をつくり、宣教師フルベッキのもとで自ら英語や西洋事情について学んでいる。

 維新当初は木戸と親しみ、木戸の支援をうけて鉄道・電信の建設など洋化政策を積極的に進めていたが、長州派の伊藤、井上(馨)とも親しいこの出すぎた男が大久保は気に入らなかった。大隈のやりすぎには他の参議たちからも批判がおこり、大隈の排斥運動が高まってゆく。薩摩を代表する大久保に嫌われていることに気づいた大隈はあわてた。なんといっても大久保は木戸とならぶ維新政府の巨頭である。いや、その強引な政治手法によって、木戸を抑えぎみでさえあった。このままだと自分は排斥される、という危機意識をもった大隈は大久保邸を訪れて弁解にこれ努めるのである。

 大久保はようやく自分にすり寄ってきた大隈に満足したであろう。この機会を利用して彼を木戸派から引きはなそうと思ったとしても不思議ではない。大久保は木戸には敬意を払いながらも、政治上においては意見を異にすることが多く、伊藤、大隈などといった木戸派のやり手は目ざわりであった。できれば木戸からこの両者を離間させ、長州派の勢力を弱めておきたい。外遊中、そしてその後の状況をみれば、大久保は伊藤、大隈を木戸から引きはなすことに成功したといえるだろう。

 外遊前に岩倉、大久保、木戸から「あとのことは宜しくたのむ」と言われた、とは大隈自身が語るところだが、要するに「留守政府の目付役をしろ」ということだったらしい。同じ参議でも武人の西郷、板垣では政治や行政上の事務能力に問題があると外遊組は不安を抱いたのか。たしかに各省には井上馨、副島種臣、江藤新平、山県有朋など、個性の強い豪傑肌のうるさ型がそろっている。いろいろと問題を正院にもちこんで、各々が持論に固執すれば、その調停も容易ではないだろう。現に西郷や板垣はそうした各省間の煩わしい懸案は専ら大隈に任せたきり、自分たちは休憩所にこもり、先の戊辰戦争や趣味などの雑談にふけって「われ関せず」の体であったという。西郷にいたっては「政治のことは万事おはんに任せる」と言って、自分の印鑑を大隈にあずけてしまったほどである。

 そんな西郷がなぜか突然、朝鮮問題に異常な関心をもちはじめ、板垣を味方につけ、外務卿の副島を口説いて、遣韓使節の役目を自分に譲らせることに成功してしまった。もとより板垣、副島は征韓論者であり、他の参議江藤、後藤も内心では別の意図があったにせよ、同様に征韓派だったので、西郷の使節就任には文句なく賛成した。だが、この問題に関して大隈の態度は不鮮明に終始した。留守政府のなかにあっては、朝鮮問題で西郷に公然と異論を唱えることはできなかったのか、同じ佐賀人の参議兼文部卿・大木喬任も大隈と同様その態度はあいまいだった。彼らは「征韓論」支持を鮮明にしている同郷の司法卿・江藤新平とは一定の距離をおいていた。その時には大久保がすでに帰国していたこともあり、大隈は留守政府の目付役としての立場を意識してもいたのだろう。とはいえ大隈も岩倉使節団の外遊中、じっとおとなしくしているような殊勝な目付役ではなかった。

 大蔵省の予算をめぐる井上と江藤の対立では、薩長政権打倒の策謀になかば乗ったようなところもあったのだ。大蔵卿・大久保の留守中、大蔵省をあずかった大蔵大輔・井上馨と部下の渋沢栄一が、参議になった江藤の策略に敗れて辞職に追い込まれると、大隈は自ら大蔵事務総裁となって、かつては盟友ともみられた井上に対抗する立場を鮮明にした。しかし、大隈は自信家ではあっても、江藤のように薩長の力を侮るほどの過信家ではなかった。幕末の倒幕戦で出遅れた佐賀藩の弱みを大隈も大木も軽視できなかったし、また軽視できるほど政治は甘いものではないことを十分に認識もしていた。

たとえ不本意ではあっても、薩摩か長州、どちらかの勢力に拠って、己の政治家としての立場を安泰にする以外に、新政府で生き残っていく道はないと割り切っていたのだ。しかし、大久保が岩倉大使の帰国時にも東京を留守にしているのはどうしたことか、大木には気になるところだった。
「大久保はいったいどういうつもりなのだろう」
 築地の大隈邸での談話中に、大木はころあいをみて大隈に問いかけた。長州の首領である木戸が征韓に反対していることはすでにわかっており、大久保の本心がどこにあるのか留守組の一人としては、気になるところだった。
「どういうつもりかって、それは本人に聞いてみなきゃわからぬな」
 西洋風に設計された応接室のソファーで足をくみ、ブランデーを傾けながら大隈はぶっきらぼうに答えた。
「いや、おれが言っている意味は、本気で西郷と喧嘩する意思があるのかということだ」
「さあ、おれはなにも聞いとらんよ。大蔵省は当分あずかっておいてくれ、と言うだけで、あとは太政官に寄り付きもしないからな。まあ、参議ではないということもあるのだろうが――。めったなことでは胸のうちを明かさんよ、あの人は」
「しかし、もういいかげん、戻ってきてもよさそうなものだが」
「旧主の左大臣・島津久光をわずらわしく思っているのかもしれぬ。いまだ因循な封建主義者だからな。廃藩置県をやった西郷も、大久保も、許せぬのだろう」
「島津か――。たしかに新政府にはお荷物の御仁だな、今となっては。だが、なんといっても倒幕の功労者だ。政府から追い出すわけにもゆくまい」
「それどころか、逆にあの二人を首にしようとやっきになっている。旧主との関係がうまくゆかぬので、もう朝鮮で死んでもいい、と思ったのかもしれぬよ、西郷は」
「それじゃあ、大久保もやる気をなくしたのか。まさか引退するつもりでは――」
「馬鹿な!」
 大隈はふふん、と鼻を鳴らしてすぐさま否定した。
「それはあり得ぬことだ。大久保が政府を投げ出すなど、たとえ天地がひっくり返っても、起ころうはずはないね。ただ、相手が親友の西郷だから、彼にもいろいろと迷いがあるのかもしれぬ」
「しかし、木戸はどうなのだ。大久保のことはよくわからぬが、木戸は征韓にははっきり反対しているし、君は江藤に加担して井上を敵にまわし、大蔵省を乗っ取ったと思われているかもしれないぜ」

 大木の的を得た指摘に、大隈は煙草に火をつけながら、渋い顔をした。
「松菊か――。あの人は感情豊かだからね、なにを考えているのかよほど分りやすい。だが彼は一人では大きな反対勢力にはなり得ないだろう。惜しむらくは致命的な欠点がある」
「ほう。なんだね、その致命的な欠点とは」
 大木は興味深い顔つきでたずねた。
「つまり、その……はっきり言えば、権力欲がない。というよりは、権力争いを厭う、というべきか。策を弄しても好敵手を出し抜いて自分が首座につく、あるいは政敵を蹴落とすという荒業ができない人だよ。ところで、あの人の最大の武器はなんだと思う?」
「さあ、なんだい」
「退陣だ。退くことだよ。まあ、あの人だからこそ有効な戦術なのだがね」
「なるほど、それでちょっと失望した、というわけか。君はそれで、木戸から大久保に鞍替えしようとしているのかい」
「おい、おい、人聞きの悪いこと言うなよ。木戸にはずいぶん世話になったし、感謝もしている。維新当初におれを政府に売り込んでくれたのは木戸だし、当時の参議連から嫌われて罷免されそうになったときには、いろいろ尽力して救ってもくれた。だが、あの人は政治家としてはちょっと潔癖すぎるところがある。伊藤などもそこらへんにいささか窮屈を感じているようだ」
 大隈はすこし顎をあげてうまそうに、ふーっと煙草の煙を吐き出した。
「そういえば、外遊中、伊藤と喧嘩でもしたみたいだな。伊藤が途中で大久保と懇意になったので、木戸が二人に腹を立てているのだとか。木戸と大久保も帰朝以来、ほとんど会っていないようじゃないか」
「例の条約改正交渉の委任状を二人で日本に取りにもどったことが、木戸には気に入らなかったようだ。とにかく大失敗に終わったのだからな。帰国の予定も大幅に遅れてしまったし――。他にもなにか理由があるようだが、伊藤からはっきりした事情を聞いていないので、詳しくは知らんよ」
「それじゃあ、伊藤も大久保の懐に入ったのか。ずいぶん現金じゃないか、奴も。同じ長州人で、若いころから木戸には目をかけられ、世話になったのは君の比ではないだろう」
「いや、奴もいろいろ思惑があるのだろう。木戸と大久保の仲を取り持たねばならぬしな、あの男の立場としては。もっとも木戸はもう機嫌を直しているようだし、二人は長い付き合いだから、完全に疎遠になることはあるまいよ。ただ、木戸は病弱なうえに、積極的に政府と関わりたがらぬから、伊藤は歯がゆい思いをしているのだろう。それに、大久保は木戸のようにくどくどと小言を言わぬからな」
 大隈はふふっと、すこし声を立てて笑った。
「それで、君も伊藤といっしょに大久保陣営に走ろうというのだな」
「現実には、大久保から睨まれたらなにもできぬよ。それは君にもわかっているはずだろう」
「……」

 大隈の核心を突いた指摘には、大木も反論できなかった。この二人の佐賀人は漕ぎ出した船をどちらの方向に進めるべきか、目下風向きを探っている状況のようだ。江藤はすでに「西郷船」に乗りこんで沖へむかって漕ぎ出そうと、帆をいっぱいに張りつめている。だが、大木はまだ港のなかをうろうろと巡っており、強い風が吹くのをじっと待っている。大隈は風が吹く場所を知っており、そこに向かう準備をしているが用心におこたりない。おもわぬ台風が別のところで発生しないともかぎらぬからだ。今のところ、どちらも待機の姿勢をくずすつもりはないらしい。副島は外務卿として、そもそも西郷が朝鮮問題に関心をもつまえから征韓論者である。同じ佐賀人でも一人ひとりがそれぞれの思惑をもって動いており、佐賀閥としてまとまった勢力にならないのは、彼らにはその勢力を保つ権力の基盤がないからなのだろう。

「松菊は人がいい」
 と大隈は、ある種の好意を声音にのせて言う。
「たとえ不満を持っても、一時的に怨恨を抱いても、けっして報復などしない男だね。長州人にかぎらず、他人の才能を愛しそれを生かすために尽力してくれる。決して堅物ではないし、政治家として清濁あわせ呑む度量は備えているよ。だが、彼はどちらかというと清流の中でおよぐ魚だな。濁流に飛び込んで、うまく遊泳できるような技はない、というよりも、最初からそれを忌避するのだ。彼の政治手法はひたすら正攻法の説得、説得だからね。その点が大久保とは違う。目的のためには手段を選ばぬ冷徹な権力者の凄みが木戸孝允にはないのだ。松菊という号が示すとおり、政治以外にも風雅を愛し、詩酒をたしなみ、文人たちと交流して人生を楽しむコツを心得ている。だから政治から離れても、彼は別の世界で生きていけるのだよ。ところが大久保はどうだ。趣味は囲碁ぐらいで、政治以外にたいした関心事もない。全身これ政治家で、権力を握るために生れてきたような男ではないか。下で働く者として、どちらかを選ばねばならぬとしたら、おのずと決まってくるだろう」

 幕末において佐賀藩が「鳥羽・伏見の戦い」に参戦せず、ぎりぎりまで洞ヶ峠をきめこんだのは鍋島閑叟公の意思であったが、大隈、大木のように有能で、政治家としてそれなりの野心も秘めている佐賀人には悔やんでも悔やみきれないことだったに違いない。その負目を抱いて、薩長の風下に立たねばならない悔しさは、この二人よりも江藤新平において強烈であったようだ。
「それにしても江藤は、西郷と大久保を対立させて、薩摩の分断を図るつもりなのかな。司法卿として、長州人もずいぶん苛めているようだし、ちょっとやり過ぎではないか。もっともおれも予算のことでは井上とずいぶんやりあったがね」
「奴はもう走り出している。忠告しても無駄だろう。もうすこし根本的なことを考えたほうがいいのだがね。権力とは勝者が握るものだという。それが武力にせよ、アメリカのような人民による選挙の結果にせよ、戦いに勝利した者が政権をにぎる。我々は辛うじてその最後尾についていたにすぎない。この事実は残念ながら如何ともしがたい。江藤はこの現状を策謀によってひっくり返せると思っているようだが、それを他人に漏らすのも困ったものだよ。江藤のそうした企図は、大久保の耳にはもう入っているだろう」

 その大久保が休暇を終えて、東京にもどってきたのは九月二十一日だった。ベルリンで帰朝命令をうけてただちに帰途につき五月二十六日に東京にもどって以来、ほぼ四か月が経過していた。いよいよすべての役者がそろい、反征韓派の動きはにわかに活発になってゆく。


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