[小説・木戸孝允]

明治六年秋

(五) 大久保と木戸の会談

 人が入れ替わり、今度は伊藤が大久保を訪ねて必死の説得を試みたが、彼の返事は岩倉にしたのと寸分変わるところはなかった。とにかく木戸先生を根本にして御一定これ有候ほか見込これ無く――。というわけで、伊藤は同日に木戸を訪ね、その翌日には、三条と岩倉がともに木戸邸を訪れて、辞表を思いとどまらせようと説得した。さらに次の日、勅使・片岡侍従が病気見舞いを理由に木戸邸を訪れ食物などの見舞品を届けている。もちろん、これは三条、岩倉の計らいだろう。
 この間、岩倉は西郷を訪問してその様子を探ったのだが、西郷の態度は想像以上に強硬だった。はやく遣韓問題の話をすすめるよう相当強く岩倉に迫ったことは、岩倉の大久保に宛てた手紙で容易に想像できる。十月に入ると岩倉は参議を一人ずつ自邸に招いて、その意見を聴取しはじめた。伊藤が岩倉邸を訪れたときに偶然大隈と出逢ったのは、そんなときだった。大隈はすでに西郷の朝鮮派遣には反対する旨を岩倉に告げていた。彼は反対派の陣容が整いつつあることを敏感に察知して、ここで旗色をはっきりさせたのだ。
 しかし、いちいち参議の意見を個別に聴くなどとは、なんともまわりくどいやり方だと伊藤は思った。むしろ、岩倉大使らが不在中に無断で参議になった後藤、大木、江藤を辞めさせ、大久保を参議に就任させて、いっきに廟議を主導したほうがよいのではないか。そんな伊藤の意見に大隈も賛同した。
 岩倉使節団の渡航前に、使節団首脳と留守政府の主要メンバーとの間には十二ヶ条の契約が交わされていた。大使らが帰朝するまでは現状を維持し、やむを得ない場合には、その事情を報せて了解を得てからこれを行うという主旨で、各々がその約定書に記名調印していた。ところが使節団が日本を離れると、この約定書はほとんど無視されていた。軍政の改革(兵部省を廃して、陸軍、海軍の両省を設置)、徴兵令の発布(全国募兵による四民兵役)、地租改正、太陽暦の採用、学制の頒布(全国を八大学区とする)、裁判制度の改革(裁判所を臨時、司法、出張、府県、各区の五種に分ける)、太政官職制の改定(参議を内閣の議官とし、新たに三名を追加)、集議院の廃止と左院の職制の改定等などがすでに次々と実施されていた。人物の任免、異動なども平然と行い、そのあまりに無遠慮なやり方に木戸も、大久保も、岩倉も、ただ呆れるほかなかった。しかし土肥出身者にとっては、薩長の首脳がこぞって日本を離れる機会を利用しない手はない。脇役に甘んじてきた彼らが政権奪取の叶いそうな千載一遇のチャンスを無駄にするはずもないのだ。幸い朝鮮問題で西郷という大船が沖へむかって動き出そうとしている。この大船に乗りさえすれば、自由に舵取りのできる日が来るかもしれない。征韓論を武器に彼らが完全に政権を獲りにきたとしても不思議ではない。まして彼らはいま維新政府の中枢にすわっている。一時的にもそこから離れてしまった者のほうが相当に不利な状況にあったのだ。
 この極めて不利な状況をひっくり返すには、約定違反を理由に江藤ら新参議を罷免することが一番手っとり早い、と伊藤は考えたのだが、それは実現しなかった。三条が難色を示したからだ。時の成り行きとはいえ、三条には彼らを参議に推薦した責任があったし、就任からまだ日も浅いのに罷免すれば失礼でもあり、かえって恨みを残すことにもなる。そんな三条の立場を考慮して、結局この戦術は棚上げにされた。
 ここに至って大久保も決心せざるを得なくなった。西郷が三条を攻め立てている状況もあり、一刻の猶予もなくなってきたからだ。木戸とは直接逢って互いの意思を確認しなければならないが、その前に三条、岩倉に対して意見を動揺させないよう、なんらかの保証をとる必要を大久保は感じていた。味方陣営を堅固にしなければ、とてもこの難局を乗り切れるものではない。
 そこで大久保は三条、岩倉に対して、意見が不動であることの一札を要求した。すなわち、西郷の朝鮮派遣には反対し、あくまでも内治を優先させる、という記名入り証文を求めたのである。ふたりとも大久保の入閣を懇請してきたのだから、これを拒否する理由はなかった。むしろ誠意を示すものとして、両者とも大久保の要請どおりに証文を差し出したのである。自分はおふたりの意思にしたがって動くのだという前提を整えると、大久保はいよいよ木戸を訪問することにした。伊藤もふたりの仲を心配して、直接の会談を望んでいた。

 大久保が木戸邸を訪れたのは十月十日だった。すでに前日に、大久保が参議就任を承諾したことを、伊藤が木戸に知らせていた。木戸は喜んだが、それで心配性が解消されたわけではなかった。なにしろ相手は大西郷である。すでに閣議で西郷を特使として朝鮮に派遣する一件は採択され、天皇の内許も受けていた。ただ儀礼上、岩倉大使の帰朝を待ってからということで、西郷はその決定が反故にされるとは思っていない。だが、この頃には西郷も閣議の開催が延期されていることに疑念を抱き、反対派の動きを気にし始めていた。三条には手紙で「ご動揺なきように」と釘を刺し、改めて閣議の開催を督促していた。もしこの決定が取り消されるようなことがあれば西郷も面目が立たず、「友人には死をもって謝るしかない」と、三条を脅すような文面もあって、これを覆すことは容易でない状況だった。木戸も、大久保もその困難さは十分に認識していた。たとえ大久保が参議になって閣議で西郷と対決したとしても、たしかな勝算があるわけではない。どうなるかは、まったくわからないのだ。
 客間に木戸が入ってきたとき、大久保は予想以上に衰弱している相手の様子をすぐに見てとった。紺絣の着物に羽織をはおったこの家の主は青白い顔をして、久しぶりの客と挨拶をかわした。木戸はホフマンなど医師の来診を受けている状況で、毎日来客が絶えずゆっくりやすむ暇もないようだった。どうも長話ができるような体調ではなさそうだな、と大久保は思い、なるべく簡潔に話すことにした。大久保は木戸の疑念を感じ取っていた。いったい大久保は本気で遣韓問題に反対論を主張して同郷の西郷と対決してくれるのか。本当に大久保は本気なのか、という木戸の内心の思いは不安げな眼の色にもあらわれていた。それは薩摩閥を二分して争うことにもなるからだ。
「私は本気ですよ、木戸さん」
 相手の心を見透かしたように大久保は言った。
「いま、朝鮮に使節を派遣するなど実に危険なことです。西郷にはそれがよくわかっていない。喜ぶの朝野の征韓論者だけです」
 大久保の言葉は木戸の心配の核心に触れたようだった。
「では、あなたも戦争には反対なのですね」
「もちろんです。いま、日本に外征などする余裕はない。はやく内治を整えて、一揆や暴動が起こらないようにしなければいけません」
「西郷と本気で対決すれば、あなたは大切な親友を失うことになるかもしれない」
「そういうことはあまり考えないようにしています。しかし、結果がどうなろうと後悔するつもりはない。ただ、全力を傾注するだけです」
 木戸の緊張した表情に、ようやく安堵の色がうかんだ。
「大久保さん、私はこんな身体ですから、たぶん閣議には出席できないと思います」
 ためらいがちに言う相手に、
「わかっています。あなたはゆっくり養生してください。ただ、私の背後でしっかり支援してくださればいい。いま、私が頼りにできるのは、おそらくあなただけですから」
 大久保の言葉の意味を木戸は理解しようとして、すこし沈黙してから口を開いた。
「三条公や岩倉公のことを、あなたは疑っているのですか」
「相手は西郷です。場合によっては容易ならぬ事態になる」
 木戸の表情に再び緊張の色がはしった。
「最悪の事態が起こり得るかもしれないということですね」
「ええ、公家出身のあのふたりに、はたしてそれが耐えられるか」
「……」
「いずれにせよ結果はどうなるかわかりません。我々が敗北するかもしれない。でも、いかなる事態になろうとも、木戸さん、あなただけは私と行動を共にしてくれますね。もし私が辞表を提出するようなことになったら、あなたもいっしょにそうしていただきたい。あのふたりが動揺した場合に、およぼす最大の効果はそれしかない」
 大久保の真剣な眼差しを、木戸は正面から受けとめた。
「わかりました。私も頼れるのはあなただけです。倒れるときは、ともに倒れましょう」
 ふたりが支えてきた維新政府の危機にあっては、これまでの確執は氷解し、木戸も、大久保も、互いが最大の味方であり、最強の同志であることを改めて確認したのだった。しかし、前途はまだ薄闇にかすんでいる。


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