(1874〜1878)

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西暦
年号
人 物
(赤字は木戸孝允関連事項)
日本の情勢 世界の情勢
1874
明治七
 42歳
1.25 文部卿兼任
2.03 征台反対の意見を示す。
2.09 大久保、佐賀行きを相談する。
2.14 内務卿を一時兼任
4.18 辞表を提出
5.13 参議兼文部卿を辞め、宮内省出仕となる。
5.27 東京を発ち、7.9 山口着
8.01 大久保、清国に出発
10.22 山口県士族の協同会社と授産局の総管を兼務する。
11.1 伊藤博文、下関で木戸と会い、帰京を促す。
12.12 山口を発し、大阪に向う。

2.04 佐賀の乱
4.13 江藤新平刑死(41)

5.22 台湾に出兵

7.17 民選議院設立建白書を提出(板垣退助)

板垣、立志社を創立

東京女子師範学校創立
イギリス、ディスレリー保守党内閣
1875
明治八
 43歳
1.05 神戸着、大久保と会見
1.22 井上馨、板垣退助らと会見
1.23 伊藤博文、大阪着
2.05 勅使東久世、大阪に着き、木戸に帰京の朝命を伝える。
2.11 大阪会議 大久保、伊藤、井上、板垣と料亭加賀伊に会す。
2.22 神戸を発し、24日 東京着
3.03 板垣と共に参議になる。
6.02 地方官会議議長に就任
9.01 板垣、立法行政の分離を主張
9.05 木戸、辞意を表明
10.19 内閣の分離中止
10.27 左大臣島津久光、板垣辞任
11.13 朝鮮使節を望むも、脳病発症し、歩行困難となる。
11.18 妹治子逝く

板垣、愛国社を創立

ロシアと千島・樺太の交換

同志社英学校創立(新島襄)
4. 元老院、大審院を置き、漸次立憲政体を立てるの詔発布

新聞紙条例・讒謗率公布
(言論取締り)

9. 江華島事件
フランス、第三共和国憲法制定
1876
明治九
 44歳
3.28 参議を辞め、内閣顧問に
4.14 天皇、木戸の染井別邸に行幸
6.02 天皇の奥羽巡幸に供奉
8.18 東京を発ち、箱根に
9.03 宮内省出仕を拝命
12.24 地租改正緩和、地税の減額を建言

2. 日朝修好条規調印
3. 廃刀令
9. 元老院に憲法起草を命ず。
10.24 熊本神風連の乱 27 秋月の乱 萩の乱で前原一誠刑死(43)
12. 地租改正反対一揆
トルコ帝国、憲法制定

西太后摂政(76〜89)

電話を発明(グラハム・ベル)
1877
明治十
 45歳
1.18 鹿児島県の弊害を述べる。
1.28 天皇に供奉し、京都着
1.29 病気再発
3.04 賊兵背後衝撃の意見をいう。
5.19 天皇の見舞いを受ける。
5.25 天皇より旭日大綬章を賜う。
5.26 死去(45)
5.28 正二位を贈られる。
6.04 遺言により、遺骸を洛東霊山に葬る。


2.15 西南戦争開始
2.22 西郷軍、熊本城を包囲
4.14 官軍、熊本城入城

第一回内国勧業博覧会
東京大学、学習院大学創立
博愛社(のちの日本赤十字社)創立
9.24 西郷隆盛自刃(51)

ロシア・トルコ戦争

英領インド帝国成立
1878
明治十一
 ―
5.14 大久保利通暗殺(49)
商工会議所・株式取引所設立
ベルリン列国会議
電燈の発明(エジソン)

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