木戸孝允への旅はつづく 42


風雲篇(京都)

● 禁門の変(2)−来島又兵衛自刃

7月19日早暁、長州勢のうち伏見街道を北上した福原越後隊(主力は大組士)は藤の森に布陣していた大垣藩兵と衝突しました。銃撃戦をうまくかわして疏水沿いの大仏街道を北進したところ、大垣藩の第二陣に狙い撃ちされ、結局この隊は入京できないまま山崎方面へ敗走してしまいました。天龍寺の長州兵は途中で二隊にわかれ、来島又兵衛率いる遊撃隊は下立売通を進んで蛤御門をめざし、国司信濃隊は嵯峨街道を東進して中立売御門に向いました。
幕府側の禁裏周辺の守備は、中立売御門に筑前藩、蛤御門に会津藩、禁裏台所門に桑名藩、堺町御門に福井藩、乾御門に薩摩藩が配置されていました。国司隊は途中たいした抵抗も受けずに中立売御門に至り、筑前藩兵と交戦がはじまりました。前夜から御所内の公家邸に70〜80人の長州兵が潜んでいたため、筑前兵は国司隊の前面からの攻撃と背後の日野邸からの襲撃をうけてまったく劣勢となり、長州兵は禁裏御所に迫る勢いになりました。来島の遊撃隊は午前5時ごろ蛤御門に突入、その奮戦によって会津藩兵は後退を余儀なくされ、御所南の御花畠のほうに追いつめられていきました。銃撃戦のなか、来島は葦毛の馬にまたがって大声で兵を叱咤し、力士隊が筋金入りの棒をふるって突撃すると、会津兵の守りはほとんど破られるばかりの状況になりました。
そのとき、北の乾門から薩摩兵が駆けつけて長州勢の側面を急襲し、天龍寺に向おうとしていた薩摩兵もひき返して砲撃をくわえたのです。その後、蛤御門と中立売御門一帯では激戦が繰り広げられましたが、薩摩藩の加勢によって戦況は明らかに長州側の不利に傾いていきました。ほどなく来島又兵衛が薩摩の川路利良に胸部を狙撃され、落馬してしまいます。もはやこれまで、と来島は甥の喜多村武七に介錯をたのみ、槍の穂先で咽喉を突いて自害します。享年48。彼は古武士の風貌を備えたもっとも激越な志士でした。指揮者をうしなった長州軍はやがて総崩れとなっていきます。

その間、因州藩邸にいた小五郎は同藩の河田佐久馬に、「有栖川宮を擁し、長州藩士とともに天皇の御前を守る」という約束の実行を迫っていました。ところが河田の態度はあいまいで、「有栖川邸は自分たちだけで守るから、あなた方は叡山に登って諸軍の動きに応じてほしい」と言いだしたのです。小五郎は驚きました。体よく長州兵を追い出す口実としか思えません。この期に及んでなにを言われるか、と小五郎が怒りをあらわにしたので、河田は困惑して「では、我らがさきに有栖川邸にまいって、機をみてお知らせするので、しばらくお待ちいただきたい」と言います。しかたがないので、小五郎は藩邸で待つことにしました。
有栖川宮は昨晩から参内したまま帰邸していませんでした。宮廷内の様子は一向にわからず、時間だけがいたずらに過ぎていくのを、小五郎はなおしばらくじっと忍んでいましたが、夜が白みはじめると、
「行こう。これ以上は待てない」
ついに立ち上がります。彼は兵を二手に分け、時山直八がその一手を率い、それぞれ別の経路から今出川御門に向いました。すでに戦闘は開始されており、小五郎らは砲声が轟き、弾雨が降るなかをかいくぐって、なんとか今出川門から御所内に入ることができました。そのとき小五郎につき従っていたのは馬屋原二郎、田村甚之允など、わずかに6〜7名。有栖川邸では戦端がひらかれたことに怒った河田が、
「いったい、どうなさるおつもりか」
と、小五郎を責めはじめました。
「これでは到底、お約束どおりにすることはでき申さぬ」
河田の背信の言に、若い馬屋原はかっとなり、
「武士の約束を違えるおつもりか」
刀の柄に手をかけた馬屋原を、小五郎は黙って制しました。彼はすでに諦めていました。これまでの正藩連合への努力はすべて徒労に終わったことを自らに納得させ、「わかりました。それではもはやこれまでです」と因州藩と決別したのです。長州藩はすでに、孤立への道を突き進みはじめていました。有栖川邸を出ると、小五郎らは賀茂神社方面へ向いました。天皇が難を避けて下鴨社に遷座する、という情報を耳にしたからです。鳳輦はすでに御所を出たという風説もあり、小五郎は天皇に直訴するつもりでした。だが数刻待っても鳳輦はいっこうに現れません。他の者たちは蛤御門で戦っている同志たちと合流して、ともに死のうと言いはじめましたが、小五郎は同意しませんでした。志を遂げるまでは、けっして無駄死にするべきではない。それに、この劣勢を挽回する唯一の途は、天皇から赦免を得る以外にないことが、彼にはわかっていました。
「私はここで鳳輦を待ちたい。諸君は行きたいところへ行くがよかろう」
小五郎の言葉に、みな彼を残していくに忍びず、なおしばらく留まっていました。でも、このまま来るかどうかもわからない鳳輦を全員で待ち続けることもよくないと思い、結局、みな小五郎に別れを告げて走り去りました。ただ一人だけ、じっと立ったまま去らない者がいたので、
「どうした、君は行かないのか」と小五郎が訊ねました。
「あなたをひとり敵中に残していくことはできません」
馬屋原の眼がそう語っていました。
馬屋原と二人で鳳輦を待っている間に、小五郎は重大なことに気がつきます。因州藩との密約が破られたことを諸隊に知らせなければならない――。小五郎はその任務を馬屋原に託します。自分が行けば桂さんはひとりになってしまう、という思いに、馬屋原はなお去ることをためらっていました。しかし、すでに二人の周囲は諸藩の兵で充満しており、いつ長州藩士と見破られるかわかりません。すぐに群集が二人の間を隔ててしまったので、馬屋原はやむなく小五郎に目礼して別れを告げました。彼が目指した方向は久坂玄瑞らがいる鷹司邸で、裏口から入って入江九一に事態を報じました。


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