木戸孝允への旅はつづく 55


風雲篇(大阪〜出石)

● 小五郎と幾松の再会

 いよいよ桂に逢えるのだと思うと幾松の心も弾み、旅の足取りも軽く感じられました。大阪に着くとほっとして、知人を訪ねてみようという気になり、数日間留まることになりました。甚助も「ちょっと用事を足したいので」と、幾松にことわって以前に世話になった博奕打ちの知人を訪ねに行きます。でも、これがケチのつきはじめで、その知人に誘われるままに賭博場に足を運び、よせばいいのについ博奕に手を出してしまったのです。根が博奕好きですから、やり始めたらもう止まりません。勝ったり、負けたりしているうちに、気がつけば預かった旅費の50両がすっかりなくなっていました。それをとり返そうと親分から借りた5両も負けてしまうと、彼は慌ててあちこち金策に走りました。でも50両の大金が簡単に工面できるはずもなく、困り果てた甚助はついに幾松に手紙を書き、そのまま逐電してしまいます。

 幾松はなかなか帰ってこない甚助を、旅館で辛抱強く待っていました。でも本人がもどる代わりに、人づてに甚助の手紙が届いたのです。
『好きな博奕に手を出して、預かったお金を全部なくしてしまいました。金策も思うようにいかなかったので、あなたさまには合わす顔がなく、旦那さま(小五郎)に対しても申しわけなく、どうかご勘弁をお願いいたします』
 幾松は怒るよりも、ただあきれてしまいました。でも、ここで諦めるわけにはいきません。なんとかひとりでも出石に行って桂に逢いたいという気持ちに変わりはなかったので、宿の主に事情を話して身のまわりの品物を売却してもらうことにしました。こうして得たお金から宿賃を払って、幾松はたったひとりで旅をつづけることになりました。北陸や山陰にむかう街道は道幅のせまい山路が多く、男でさえもためらうほどの難路です。
 気丈にも幾松はこれに挑戦し、さんざんに苦労しながら10日あまりを費やして、ついに目的地の出石にたどり着くことができました。着物は泥と埃ですっかり汚れていましたが、もうすぐ桂に逢えるのだと思うと、たいして気になりませんでした。目指すは愛しい人、桂小五郎との再会です。
 小五郎が潜居する宵田町の家を幾松が訪ねたのは3月の節句の晩でした。女の呼ぶ声に小五郎が玄関に出てみると、驚きのあまりしばらく声を失いました。馬関から甚助の帰りを待っていたら、そこに立っていたのは幾松その人でした。あんなにも身も世もなくその安否を心配した女性が自ら姿を現したのです。
「幾松!」
「小五さま!」
 ふたりは手をとり合い、抱き合って、再会の喜びをかみしめたことでしょう。京都の戦で、あるいは幕吏に捕らえられて、命を落としてもおかしくなかった小五郎が、人生最大の逆境をなんとか生き延び、のちに妻となる幾松と再びあいまみえることができたのは、実に強運であったか、守護神の加護であったのか。現実は時として、虚構よりも感動的なドラマを作り出すものなのかもしれません。
 しかし、まだ安心はしていられません。長州に帰る途上で、どんな危険がふたりを待っているかわからないのですから。幾松が携えてきた野村からの手紙を読んで、小五郎は帰藩する決意をかためますが、それには甚助・直蔵兄弟の援助がどうしても必要でした。でも、甚助は自らを恥じて行方不明になっており、まず彼を見つけ出して、連れもどす必要がありました。結局、弟の直蔵がこの役を引き受け、大阪に兄を探しに行くことになりました。

 直蔵がようやく甚助を見つけ出して3月半ばに出石にもどってくると、最初、甚助はふたりに逢おうとしませんでした、小五郎の催促により、ついに姿を現すと、甚助はふたりの前で土下座して謝りました。小五郎は甚助が戻って来たことを単純に喜びましたが、さすがに幾松はまだ彼を赦す気になれず、そっぽを向いていました。
 小五郎は大阪に寄って上方の情報を集めておきたかったので、さきに直蔵を京都に向けて発たせ、2日後に幾松と甚助を連れて出石を離れることにしました。兄弟の父親である喜七にお世話になったお礼を言うと、彼は娘のたみ、すみと一緒に途中まで小五郎たちを送って、別れを惜しんでくれました。

 大阪に着くと、小五郎は商人広江孝助を名乗り、直蔵らは弟、幾松は女中ということにして、商人宿に泊まりました。兄弟が情報収集のために外を歩いているとき、まずいことに幕吏が近づいてきました、甚助が尋問されている間に、彼は眼で合図して直蔵をその場から逃しました。直蔵は血相変えて宿にもどり、「大変です」と小五郎たちに事情を説明しました。彼らは急いで宿を引きはらい、対馬藩邸に移動すると、旧知の青木晟次郎が留守居役をしていたので、一夜だけかくまってもらいました。小五郎が直蔵を京都に先発させたのは、対馬藩邸が守旧派によって占められていないことを確認するためでもあったのです。
 翌日(4月17日)には淀川に出て船に乗りますが、河口には関所があり、ここが最後の難関でした。小五郎は、「宮川町の商人、広江孝助です」と役人に告げます。役人は小五郎から幾松、直蔵と眼をうつし、「よし」と言って彼らを通過させました。船が沖に出ると、小五郎はあとを振り返って見ました。だれも追ってくる気配はないようです。
「はあー、もうだいじょうぶ」
 と、彼はようやく安堵の息をつきました。幾松と直蔵も緊張から解き放たれ、ほっとした様子です。瀬戸内海の陽にきらめく海原を、船は一路なつかしい同志たちが待つ下関へとむかいました。


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