木戸孝允への旅はつづく 68


風雲篇(門司、小倉)

● 幕長戦(四境戦争)・その3

小倉口の戦い

 この方面は、関門海峡の制海権をどちらが握るかという、幕長戦の勝敗の行方を決しかねない重要な戦場でした。したがって長州がわの主力は最精鋭の奇兵隊で、総督・山内梅三郎が総指揮官となり、報国隊(長府兵)、正名団(山内家)がこれに加わりました。事実上の指揮官は海軍総督・高杉晋作で、山県狂介、福田侠平が軍監、三好軍太郎、時山直八が参謀という陣容でした。
 長州藩の戦略は、海峡をわたって、まず門司、田ノ浦の敵を一掃し、海岸線を進んで小倉城を陥れ、備前全土をしたがえるというものでした。当然、陸海両軍の共同作戦が重要になってきます。

 一方、幕府がわの総指揮官は老中・小笠原壱岐守長行、本営は備前小倉藩15万石の居城(城主は小笠原讃岐守忠幹)に置かれ、九州の諸藩(肥後藩、久留米藩、柳川藩など)と幕府千人隊などが海外線の守りを固めていました。幕府軍およそ2万に対して、長州軍は1千ばかり。兵力の差は歴然としていますが、諸藩はこの戦いに必ずしも積極的ではありませんでした。

 6月17日の早朝、まず長州軍が小倉領・田ノ浦、門司への攻撃を仕掛けました。丙寅丸が癸亥(きがい)丸、丙辰(へいしん)丸を曳いて田ノ浦にむかい、乙丑(いっちゅう)丸が庚申(こうしん)丸を曳いて門司にむかいました。乙丑丸には高杉の依頼を受けて参戦することになった、土佐の坂本龍馬率いる海援隊が乗り込んでいました。海峡をわたった長州海軍が敵の陣地にむけて砲撃を開始すると、その間に奇兵隊、報国隊らが上陸して両地の砲台、弾薬庫を次々に破壊していきました。不意を突かれた小倉兵はまともに応戦ができないまま、大里まで後退を余儀なくされます。

 しかしいったんは門司、田ノ浦を占領しても、高杉はすぐに全軍の引き上げを命じたのです。寡兵でもあり、敵が反撃に来た場合の兵力の消耗を避けるためもあったのでしょう。富士山丸を中心とする幕軍の海軍力もけっしてあなどれません。そこで大里を攻めるまえに、高杉は再び夜襲をかけました。こんどは和船に24ポンド砲を積み、満潮に乗って富士山丸に近づいて行きます。
「どこの船か」 という敵艦の誰何に、
「石炭を筑前に買うものなり」 と答えます。
 向うは再び問うてこなかったので、いきなり何発か発砲すると、艦内は驚いて大騒ぎになりました。襲撃犯の6人は予め用意しておいた小舟に乗りうつり、馬関方向に流れを変えた潮流に乗って、狙撃されるまえに逃げ去ってしまいました。この奇襲で敵艦に与えた被害は僅少でしたが、心理的な効果は大きかったようです。

 その後、大里で両軍は戦闘を交えましたが、長州軍の勝利におわっています。小倉兵も善戦したのですが、背後にひかえる肥後、久留米などの援兵が傍観を決めこんで参戦しようとしませんでした。
 孤軍奮闘の小倉藩はついに城を枕に討死の覚悟を固めます。その決心の文面に驚いた小笠原長行からの強い要請を受けて、肥後藩はようやく鉄砲を装備した5千の精兵を小倉の前線に送ります。細川家54万石の軍兵は今度は本気で戦い、長州兵はしばしば苦戦を強いられ、50余名の戦死者を出すに至り、いったん大里に退きます。

 小倉藩はこの機に乗じて大里の奪還を企て、肥後藩に協力を求めましたが、家老の長岡監物は応じようとしません。彼は幕府兵の戦意の低さに腹を立てていました。幕府海軍は軍艦の損傷を怖れているのか、出ては退きをくりかえし、台場や長州船の攻撃を真面目にしているのは小倉藩の蒸気艦・飛竜丸だけ、という状況でした。7月29日には、幕府への義理は済ませたとばかりに、肥後藩は撤兵を開始します。これを見た他藩の軍兵も順次帰国しはじめ、幕府兵も後退してしまいました。

 狼狽した小倉藩では、家老のひとりが幕府軍の本営・宗源寺に走って、小笠原に面会を求めました。しかし、驚いたことに、ここももぬけの殻だったのです。九州表の幕府軍司令部が突然、蒸発してしまった! 絶望した小倉藩はついに城に火を放って退却することになりました。その後、長州軍が小倉城を占領したのは、言うまでもありません。

 実は、このころ、大阪城中では大変なことが起きていました。将軍家茂が病にたおれ、7月20日にはついに亡くなってしまったのです。次々に入ってくる敗報に心労が重なったのでしょうか。享年21、若すぎる将軍の最期でした。
 小笠原長行が訃報に接したのは7月29日だったようです。しかし、彼はそれ以前に戦場から立ち去ろうとしていたらしく、25日には、いったん大阪へ帰る旨を肥後藩主に手紙で告げています。戦況がおもわしくないので、今後の相談でもしにいくつもりだったのでしょうか。世間では「小笠原閣老は小倉藩を見殺しにして、戦場から逃亡した」と非難がましく取り沙汰されていました。

 いずれにして、幕府軍は長州兵の一致結束した頑強な抵抗にあって、ついに一歩も敵地内に踏み込むことができずに敗退してしまったのです。


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