木戸孝允への旅 83(つづき)


補記(宸翰について)

知られざる木戸孝允の功績

● 明治天皇のお言葉

 五箇条の御誓文のことは知っていても、その日、同時に発表された天皇のお言葉(御宸翰)について知る者はきわめて少ないのではないでしょうか。維新関連のほとんどの歴史書(「醒めた炎」を含む)にも触れられていないのですが、現在、読んでみても、実に率直で赤裸々な内容には驚かされます。この御宸翰の起草にいったい誰が関与したのかについては後で語ることにして、まずはその要旨をご紹介したいと思います(原文は最後に掲載)。

 私は幼弱にして、思いがけず皇位を継ぎ、以来どのように諸外国に対処すれば祖先に忠実でいられるのか日夜思い悩んできた。
 中世に朝権が衰え、武家が権力を握って以来、表向きは朝廷を尊崇しても、実は敬して遠ざけられ、万民の父母として、赤子(民)の心を知ることもできなくなった。
 ただ名のみの存在となり、そのために今日、朝廷への尊崇は昔に勝っても、朝威は益々衰え、上下の隔たりは天と地のごとくである。
 このような形勢で、私は何をもって天下に君臨すればよいのか。
 今や朝政一新の時にあたり、万民が各々ふさわしい境遇を得なければ、それはすべて私の罪である。
 私自身、骨身を惜しまず、努力を尽くし、艱難に立ち向かい、祖先の切り開いた足跡をたどり、よく国を治める努力を重ねてこそ、初めて天職を奉じて、万民の君主たる道を全うすることができよう。
 
 最近になり、世界は大いに開け、各国が四方に雄飛する時にあたり、我が国だけが世界の形勢にうとく、旧習に固執して、一新の効が実を結ばないでいる。
 私が御所にこもったまま安穏として過ごし、百年の憂いを忘れるならば、遂には各国の侮りを受け、祖先を辱め、万民を苦しめることになるのではないかと恐れる。
 それ故に、私はここに百官諸侯と誓って祖先の御偉業を継承し、一身の艱難辛苦を問わず、自ら四方に国を治め、万民を安心させ、遂には万里の波濤を開拓し、国威を四方に行き渡らせ、天下を富岳(富士山)のごとき安寧に導くことを望んでいる。

 天下万民よ、私の志を体得し、共に私見を去って、公儀を採り、私の仕事を助け、神州を安全に守って、祖先の神霊を慰められるならば、私にとってこれ以上の幸はない。


 これほど明らかに天皇の立場、思い、志を天下万民に披瀝したことは、日本史上においてなかったことでしょう。まさに日本の新時代が到来し、世界に船出しようとする若き明治天皇の気概が明快に表れています。
 とはいえ、この宸翰が天皇自らの手になるものでないことは明らかです。では、いったい誰が起草したのか? まず、木戸孝允に間違いないと思われます。木戸が追加した五箇条のなかの「旧来の陋習を破り〜」と似たような言葉が、宸翰にも複数個所でみられます。また「富岳の安きに置く」という言葉は、木戸の版籍奉還に関する意見書にも出てくる言葉で、「国家を泰山の安に置く」という中国流の言いまわしを富士山を意味する富岳に置き換えているのです。

 これより前の2月28日、木戸の建議により、天皇は在京の諸侯を招見し、御誓文の前触れともいうべき親諭を下しています。その内容には「天下万姓(万民)のために於いては、万里の波濤を凌ぎ、身をもって艱苦にあたり、誓って国威を海外に振張し、祖宗、先帝の神霊に応えんと欲す。汝列藩、朕が及ばざるを助け、同心協力、各その分を尽くし〜」と、3月14日の宸翰と酷似した表現がみられます。いずれもその起草者が同一人物であることは、容易に想像がつきましょう。
 一般にはほとんど知られていない、木戸が天皇の行為において果した重要な役割をここに明らかにして、「木戸孝允への旅・幕末編」の最後のページを閉じたいと思います。長いあいだ、この旅に付き合ってくださった方々、誠にありがとうございました。それでは「木戸孝允への旅(明治維新編)」が再開するその日まで、ごきげんよう。



御宸翰・原文
(旧字は新字に直している箇所があります)

朕幼弱を以て俄(にわか)に大統を紹ぎ、爾来何を以て万国に対立し、列祖に事(つか)へ奉らんやと朝夕恐懼に堪ざる也。

密かに考るに中葉朝政衰えてより、武家権を専(ほしいまま)にし、表は朝廷を推尊して実は敬して是を遠け、億兆の父母として、絶て赤子の情を知ること能ざるやふ計りなし。遂に億兆の君たるも唯名のみに成り果、其が為に今日朝廷の尊重は古へに倍せしが如くにて、朝威は倍(ますます)衰え上下相離ること霄壤(しょうじょう)の如し。かかる形勢にて何を以て天下に君臨せんや。

今般朝政一新の時に膺(あた)り、天下億兆一人も其処を得ざる時は皆朕が罪なれば、今日の事、朕自身骨を労し心志を苦め、艱難の先に立、古(いにしえ)列祖の尽させ給ひし跡を履(ふ)み、治蹟を勤めてこそ始て天職を奉じて億兆の君たる所に背かざるべし。

往昔列祖万機を親(みずか)らし、不臣のものあれば、自ら将としてこれを征し玉ひ、朝廷の政(まつりごと)、総て簡易にして如此尊重ならざるゆへ君臣相親しみて上下相愛し、徳沢天下に洽(あまね)く国威海外に輝きしなり。

然るに近来宇内大に開け、各国四方に相雄飛するの時に当り、独(ひとり)我邦のみ世界の形勢にうとく、旧習を固守し、一新の効をはからず、朕徒(いたずら)に九重中に安居し、一日の安きを偸(ぬす)み、百年の憂を忘るるときは、遂に各国の凌侮(りょうぶ)を受け、上は列聖を辱め奉り、下は億兆を苦しめん事を恐る。

故に朕ここに百官諸侯と広く相誓ひ、列祖の御偉業を継承し、一身の艱難辛苦を問ず、親ら四方を経営し、汝億兆を安撫し、遂には万里の波濤を拓開し、国威を四方に宣布し、天下を富岳の安きに置かんことを欲す。

汝億兆旧来の陋習に慣れ、尊重のみを朝廷の事となし神州の危急をしらず、朕一たび足を挙げれば非常に驚き、種々の疑惑を生じ、万口紛紜(ふんうん)として朕が志をなさざらしむる時は、是朕をして君たる道を失はしむるのみならず、従て列祖の天下を失はしむる也。

汝億兆、能々(よくよく)朕が志を体認し、相率て私見を去り、公義を採り、朕が業を助て神州を保全し、列聖の神霊を慰し奉らしめば生前の幸甚ならん。


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