オリオンの旅日記3 (山口)
パークロード
11月×日(3日目) くもり 観光バスに乗って 本当は4日目ですが、奈良の話はとばして今回は山口です。 山口駅には1時ごろ着きました。旅館に行くには早すぎるから、どうしようかと思っていたら、駅の二階に観光案内所があって「お気軽にご相談ください」と書いてあったので、階段をのぼり、周辺地図をもらおうと思って気軽に入っていきました。 「すみませーん。ここらへんの地図ありませんか」 と訊ねると、受付の女性が観光箇所がイラストで描かれた地図を気軽にもってきてくれました。「これから観光されるのでしたら、ちょうどまもなく観光バスが出ますから、それに乗ればひととおりまわりますよ。観光バスにお乗りになればいいですよ」 熱心に奨めてくださるので、それじゃあ、時間もあるし乗ってみるか、と案内所を出て、駅前の観光バス乗場にむかいました。先に年配の小柄なご夫婦がベンチにすわっていたので「ここ観光バス乗場ですか?」と確認すると、「ああ、そうですよ」と言うので、近くに立ってバスを待っていました。 「帰りの時間は何時ごろになるのかしらねぇ」と夫人のほうが不安そうに言うので、「さあ、時間はわからないです。駅の観光案内所で奨められて、急に乗ることに決めたので」 「あら、私たちも案内所ですすめられたのですよ。それで急に乗ることに――」 どうやら、あそこに行くと自動的に観光バス乗場にむかうことになっているらしいです。 しばらくするとバスがきたので、ご夫婦といっしょに乗り込むと、すでに3人の年配の女性が乗っていました。湯田温泉から乗り込んだようです。 総勢6人の観光客を乗せて、バスは山口駅を出発しました。窓から街を眺めると、街並は非常に整備されていて、おどろくほどきれいです。パークロードという道をとおったのですが、景観の美しい日本の三大道路のひとつになっているそうです。ページトップの写真は翌日、自転車でまわったときに写したものです。 最初に停まる予定の県政資料館は残念ながら休館だったので通りすぎ、バスは山口サビエル記念聖堂にむかいます。この聖堂は平成3年に火災で焼失し、平成10年に再建されています。火災にあった元の聖堂の写真をのせたテレフォンカードを女性3人組のひとりが持っていて、見せてくれましたが、現在の白い三角屋根のモダンな建物に比べて歴史と情緒を感じて、私は前の建物のほうがいいなあと思いました。 そのあと、大内氏の居館があった竜福寺、毛利敬親と子、孫の三代の墓がある香山公園、瑠璃光寺、雪舟の庭園がある常栄寺などをまわりましたが、その中でも一番印象に残ったのが瑠璃光寺です。なんと美しい五重塔だろう、とおもわず息を呑んで立ち止まってしまいました。パンフレットの説明文によりますと「瑠璃光寺五重塔は大内文化の最高傑作のひとつに数えられ、(中略)塔の高さは31.2メートル、屋根は勾配の緩やかな檜皮葺きで、日本三名塔のひとつとして国宝に指定されている」そうです。手前に配された池ともみごとに調和して、本当に見ぼれてしまいました。この五重塔がもう一度見たくて、翌日、貸自転車に乗ってひとりで訪れました。奈良の五重塔よりずっと繊細で優美な印象を受けましたが、塔身は上にいくほど間をつめており、嘉永2年(1442)ごろに完成されたということです。大内義弘(1395年没)の弟盛見が兄の菩提を弔うためにこの五重塔を造営しましたが、途中で戦死したために完成が遅れました。大内氏が京の都をまねて街造りをしたという山口はかつて「西の京」として栄え、明治維新以降は総理大臣を7人も出しているので、街並がきれいなのは当然かもしれませんが、五重塔を含めて必見の価値ある街だと思いました。バスガイドさんの説明も勉強になったし、同窓生だという女性3人組と横浜出身のご夫婦ともいろいろなお話ができて、慣れない土地で料金1980円の観光バスを利用して最初に効率よく観光スポットをまわれたのは正解でした。帰りに萩焼の小茶碗(松菊日記に掲載)もおみやげにもらったし――。気をよくして、明日は今日行かなかった木戸神社にぜひ行こうと思います。 旅館から逃げる 場所がわからなかった旅館まで、商店街の女性店員さんがわざわざ同伴して近くまで案内してくれました。それにも感激し、本当に良い気分で旅館に着きました。そう、着くまでは良い気分だったのです。ガラス戸をとおして見る旅館の中は薄暗く、メインの照明を点けていないことは一目瞭然でした。時間はもう夕方5時近くになるというのにです。中にはいると正面に受付のカウンターがありましたが、人はいません。「ごめんください。すみません」と何度か呼んでみましたが、旅館の人はなかなか出てきません。カウンターの上に呼鈴があるのに気づいて、押してみましたが鳴りません。呼鈴は壊れているようです。また、大声で呼ぶとようやく旅館の女将らしい恰幅のいい人が出てきました。 「今日から二日間宿泊の予約をしている××ですけど」 というと、たいして確認もしないで宿泊客の記入用紙を出すので、書き込んで手渡すと、普通のおばさんという雰囲気の女将は部屋の鍵を一生懸命探しはじめました。 「ないわ。どこいっちゃったんだろう。昨日、団体客が帰ったばかりなんでね」 などと言って、今度は二階の部屋を見に行きます。しばらくすると下りてきて、もう一度鍵の山から目的の鍵を探しはじめましたが、どうしても見つからないようです。そのうち「先にお部屋へ案内します。鍵はあとから探してもっていきますから」と言うので、女将さんのあとについていきました。2階の部屋は8畳で、障子をへだてた窓側に2畳ほどの間があって、想像していたほど狭くはありません。というのは電話で予約したときに、一泊二食付きの宿泊料金を聞いて、民宿なみの安さにおもわず「えっ」と問い返したからです。「安いですか?」 相手も私の驚きを察したらしく、そう聞くので、「いえ、よろしくお願いします」といって電話を切りました。京都で宿がとれなかったことに懲りて、すぐに決めてしまったのですが、これはそうとう古い旅館かな、と思いました。その料金からすると、部屋は床の間のない四角い箱のような六畳間かもしれない、と予想していたのです。その予想よりも部屋は広く、奥行半畳ほどの床の間もありましたが、壁などをみるとそうとう年季がはいっています。その後のことはただもう絶句するしかない体験の連続でした。従業員が若い女性と男性ひとりずつしか見なかったのですが、どうやら家族だけでやっているらしいのです。そのため人手が足りないのか、フロントはいつ行っても無人でした。一度や二度呼んでも、なかなか人が出てこないのです。その他、いささかあきれた事項を以下に列記してみます。 こちらが聞かないかぎり、どこになにがあるという案内をしない。 風呂は順番に入るらしいが(狭いのだろう)、電話で「空きました。お入りください」という連絡がない。 部屋にハンガーがひとつもない。 タオル、歯ブラシなどのサービス一切なし。 トイレ、洗面所は部屋の外にある(料金が安いからね)。 なによりも暖房が効かない。エアコンからは暖房に設定してあるのに温風が出てこず、冷風のなかに微かに温風が混ざる程度で、つけているとかえって寒い。おまけに音がうるさい。 鏡がさびている。 夕食に天ぷらが出たが、天つゆがないので、どうせ呼んでもこないから調理場まで自分で行って、「天つゆがないのですけど」と言うと、「ああ、味がついているんですよ。なんなら、えーと、これ使ってください」と渡されたのが、梅味の調味料みたいな瓶だった。食事をする大広間にもどってその調味料を逆さにして振ってみたが、中が湿っていてぜんぜん出てこなかった。ちょうど6人ぐらいの中年男性グループの宿泊客がやっぱり「おーい、天つゆがないよ」と叫んでいた。 お断りしておきますが、そこはもぐりの旅館でも、人里はなれた民宿でもありません。れっきとした日本観光旅館連盟会員、日本交通公社指定の旅館なのです。学生時代にはかなりの貧乏旅行をした経験はありますが、ユースホステルでも接客という点ではこれほどひどいところにあたった記憶はありません。私の胃袋にはちょうどいい分量の夕食を済ませて、部屋にもどってくると、暖房のきかないエアコンをまたつけてみました。やっぱり肌寒い風が出てくるばかりなので、しばらくしたら諦めて消しました。お風呂の連絡もないので外出することにして、階段をおりてフロント(帳場)にいくと、あい変らず無人なので、そのまま鍵をカウンターにおいて旅館を出ました(言い忘れましたが、部屋の鍵はその部屋の中に置いてあるのを私が発見しました)。 近くの商店街のお店はほとんど閉っていましたが、喫茶店があいていたので、そこに入ってコーヒーを注文して、街の観光地図を広げて見ながら「さて、どうしたものか」と思案にくれました。真冬ではないので、多少の部屋の寒さはがまんできる。タオル、歯ブラシのサービスがないのも、鏡が錆びているのもがまんできる。お風呂が一晩ぐらい入れないのもがまんできる。しかし、接客の悪さにはがまんできない。あの旅館はけっして新参ではなく、建物がかなり古いから営業は少なくとも複数年続けているはずである。それなのに接客のイロハができていないのは、まったく理解できない。今夜一晩はしかたがないが、二晩がまんできるような宿ではないな。 そう結論づけると、偶然、観光地図にMホテルという文字を見つけました。幕末維新の歴史にも深く関係する老舗旅館です。あら、あの旅館は湯田にあったんだー、と地図で位置を確かめると、山口駅の隣の駅で地理的にも近いことに気づきました。木戸孝允や大久保利通も入ったという「維新の湯」のある旅館です。おまけに温泉ですから、もうたまりません。とにかくあの二流ならぬ三流旅館から脱出したいという思いと「維新の湯」に入ってみたいという願望がないまぜになって、気がつくと喫茶店内の公衆電話の前に立っていました。老舗の旅館だから女一人では泊めてもらえないかもしれないな、それに明日の予約ではまず無理だろうと思いながらも、指は電話番号を押していました。 |