オリオンの旅日記



(旅日記の目次は一番下にあります

京都ホテルオークラの「桂小五郎」像
写真をポイントすると説明文が現れます。

はじめに


予約がとれない


こんなに新鮮な気持ちで旅に出るのはめったにないことで、これまでとはまったく違った視点で京都を見ることになりそうです。今まで行こうとも思わなかった、いえ、その存在にすら気づかなかった場所をめざして行くのですから。

とにかく慌てました。出発の2週間ほど前ですが、京都の宿の予約が全然とれないのです。某旅行代理店のサイトで検索してもすべて満室でした。おまけに、あまりにも大量に情報を取り込んだために、あとでゆっくり読もうと思っていた他サイトの関連旅行記の一時メモリがすべて消えてしまったのです(涙)。もういちど記事を読込むのも面倒だし――もう、いいか。結局、京都の宿をネットで探すのはあきらめて、直接代理店に電話しました。「周辺のどこでもいいから空いている宿を探してください」と泣きついたところ、「大阪ならありますが」という返事に、「大阪でいいです。予約お願いします」とようやく決まって、新幹線の予約も京都から大阪までに変更することになりました。
その後の山口、萩については、ネットの検索で最初に出て来たページの宿泊リストから一番駅に近い場所を優先して予約しました。もう京都の宿で懲りたし、あれこれ比較する時間も気力もなくなっていました。出かける前に連載小説を完結させ、サイトの更新をするなど、やるべきことをなんとか済ませ、手持ちの京都の本はだいぶ古いので現地で買うことにして、ほとんど訪問先もしっかり定めずに旅立つことになりました。頭にあったのは「木戸さんの墓参り」と、「京都木屋町をそぞろ歩く」、それに「木戸神社」と「木戸孝允の生家」を訪ねることだけでした。あとは野となれ、山となれ! では、新幹線に乗り込んで、とりあえず出発することにしましょう。


京都は厳戒態勢だった!

四条大橋あたりの鴨川

★ 11月×日(1日目) うすぐもり

日本の景色は山、山、山

車窓から富士山を見たときは感激しました。前回の旅行で気がつかなかったのはなぜだろう、と考えたところ、席が左側、つまり海側だったのですね。それで、富士山を見ていなかったのです。山頂あたりにうっすらと残雪があり、曇天の空に黒いシルエットとなって、車窓の空間を圧倒していました。それに太平洋側と日本海側をへだてる日本列島の背骨ともいうべき中央山脈。小さいころ、遠足とか、修学旅行とか、家族旅行で必ず見てきた日本の風景。季節がおそく、黄金の稲穂は見られなかったけれど、「ああ、これが日本の風景なのだな」と、しみじみ感じました。
以前、イギリスに滞在していたころ、日本に感じた郷愁とはこの山の景色なのですね。イギリスには山がなく、低いなだらかな丘しかない。その緑も明るいばかりで、濃淡の微妙な色合いは見られず、どこまで行っても高い山が現れないのが、日本の連なる山の景色を見慣れている私には不思議でしかたがありませんでした(スコットランドに行けば、日本と似たような景色があるらしい)。私は東京生れですが、電車で1時間もいけば、もう山々の景色に変るのは当然だと思っていたので、帰国するまで「山が見たい、山が見たい」と中毒患者のように思いつづけたことを覚えています。

★ (2日目) 晴

霊山歴史館を訪ねる

話が少しそれましたが、さて京都に入ります。
バス停から霊山歴史館を目指して歩いたつもりですが、自分のいる場所がよくわかりません。しかたがないので路地に入って土産物店の前で煙草を吸っていたおじさんに聞くと、「反対方向だから戻りなさい」と言われました。いちおう周辺地図を手にしていたのですが、方向音痴とはおそろしいですね。おじさんは「近くに八坂の塔があるから、それを見てからいったらいい。よくテレビでもでてくる景色だから」
というわけで、霊山に行く目印の門を通りすぎて八坂の塔を目指したのですが、どこで左折したらいいのかわからなくなってきました。おじさんがよけいなことをいうからまた道がわからなくなった、とぶつぶついいながら歩いていたら、ちょうど観光客がぞろぞろ一方向に歩いているのを見つけたので、彼らについていけば間違いないだろう、と思ってついていきました。しばらく狭い上り坂を歩いていくうちに、「どうも見覚えがある通りだなあ」と首をかしげ、土産物店の連なりを見ながらいやな予感がしてきました。
ひょっとして、清水寺に通じる道ではないかしら?
そう思ったとたん、右側にバスの駐車場があって、大勢の観光客がバスから降りているのを見て、やっぱり清水寺までもどっちゃったんだ、と気づきました。あわてて左の道に入り、門のところまで引き返そうと思って坂道を下っていくと、突然、眼前に塔が見えたのです。ああ、これがおじさんの言っていた八坂の塔だろう、と旅行前に買ったばかりのデジタルカメラでパチリと一枚写しました。坂の下からではなく、上から見ることになったけれど、なるほどテレビ(コマーシャルか?)で見たような景色です。ところどころに座って絵を描いている人たちもいて、風情のある通りではありました。
なんとか霊山歴史館にたどりつくと、ちょうど「坂本龍馬展」をやっていましたが、そのときは見物人はまばらでした。ここに来るまでに遠回りしたせいか、あまり熱心に展示品を見ずにぼんやりしていたようです。ただ幕末の志士たちの写真を見ながら、「西郷さんの眼は大きいなあ」とか、「大久保の頭には禿があったらしいけど、そういえば髪が薄いなあ」とか、「慶喜と武市(半平太)はハンサムだなあ」とか、「小五郎のいちばん美男の写真がけっこう複数箇所に飾られていて、うれしいなあ」とか考え、まるで幕末・維新史を研究する者の視点ではなくて、お恥ずかしいかぎりです。桂小五郎像(京都ホテル前の像の原型か?)が展示されていたのも意外でした。
出口付近の売店で、「幕末維新の英傑 本蒔絵京漆器」とか書かれている桂小五郎の根付けを見つけたので、さっそく購入しました。展示されている書籍類は新撰組関連の本が多かったようです。志士たちの墓所でもやはり新撰組か――昨今の人気を考えるとしかたがないかな、と肩を落としながら歴史館をあとにしました。

お墓参り

木戸孝允のお墓歴史館で購入した墓地の配置図をたよりに、いよいよ木戸孝允のお墓にむかいます。ここ霊山護国神社に祀られている殉国の英霊は3,116柱で、そのうち墓碑の確認されているものは386柱だそうです。関連する事件・事柄は「安政の大獄」「天誅組」「生野の変」「池田屋事件」「禁門の変」「六角獄の惨刑」「天王山の玉砕」「戊辰戦争」「十勝川郷士群」「その他の個別殉教者」となっています。
100円玉を2個入れると入口がひらき、墓地にむかう道とわかれた右側の石段をのぼったところに木戸孝允の碑がありました。ひきかえして墓地のほうに進み、石段をのぼって右側に歩いていくと、小さな鳥居があって、その奥に坂本龍馬と中岡慎太郎の墓が並んでありました。周囲には龍馬ファンが思いをつづった瓦がたくさん並べられており、墓の横には二人の銅像が建っていました。写真を撮りましたが、有名なのでここに載せるまでもないでしょう。手を合わせて冥福を祈り、さらに上にのぼっていきます。途中でどこを歩いているのかわからなくなりましたが、とにかく上へ、上へのぼっていけば、目標にたどり着くだろうとひたすら上ります。よほど遠いのかと思ったら、突然、右側にそれらしきものを感じ、近づいていくと、そこがまさに木戸孝允の墓地でした。石柱に囲まれた墓地は、後方に繁る樹木に陽がさえぎられて薄暗く、周囲の地面には白い花びらが散乱していました。あたりに人はいず、私ひとりだけです。
ここに木戸さんが眠っているのね――。私にはその現実がしばらく感覚的に受け止められず、戸惑いを感じました。でも、隣の木戸夫人松子さんのお墓を見てから、もう一度もどってくると、しだいに現実感をもって木戸さんのお墓だと思えるようになりました。手を合わせて、しばらくの間じっとお墓の前に佇んでいると、明治と平成の時間が混ざりあってゆくような、不思議な感覚に捉われてゆきます。お二人の墓の写真を撮ったあとも、立ち去りがたく、誰もほかに人がいなかったことを山の神様に感謝しました。立ち去ろうとして振りかえり、
「さようなら、木戸さん。また来ますね」と、ようやく背中をむけて山を降りていきました。今回はお花を用意できなかったけれど、次には直接来れるから、青い薔薇は無理でも、白いユリなどを持って訪れようかな。

桂小五郎像とご対面

バス路線がよくわからないので木屋町まで歩いていき、途中で桂小五郎像を見ることにします。この像のあることは、なぜか失念していたのですが、旅行前にコメントをくださったBRさんがこの像のことに触れていたので、「あ、そうだ」と思い出すことができました(BRさん、ありがとう)。鴨川にでたついでに写真を一枚とり(上に掲載)、さらに歩いていくと目的のホテルにたどりつきました。ホテルの角を右折すると、出入口をすこし過ぎたあたりに小五郎像がありました。なるほど、うわさに違わぬ凛々しさで、しばらく見惚れてしまいました。若いなぁ。維新後の精神的な苦労をまだ知らない顔ですね。(この記事の冒頭に、横からみた写真を載せています。正面からの写真は他サイトでも見られますが、いちおう別ページに載せて後日、UPする予定です)。名残惜しいけれど、好男子の小五郎像にさよならをいって、今度は木戸さんが住んでいた旧宅にむかいます。(次へ)

桂小五郎像の正面写真2枚を見る





目 次 内  容
旅日記1(京都)

旅日記2
(京都)

旅日記3(山口)

旅日記4(山口)

旅日記5(山口)


旅日記6(萩)


中原中也の詩

(写真集)

このページです。「木戸孝允お墓参り」など。

「木戸孝允旧宅」 「京都御苑で警備員に追われる」

「観光バスに乗って」 「旅館から逃げる」

「旅館から逃げる」(つづき) 「貸自転車で街をめぐる」

「ご馳走恐怖症なのですが」 「維新の湯をひとりじめ」
「庭園を散策する」

「松陰神社に行く」 「木戸孝允生家(旧宅)にて」
後記+余談「悲劇史観が陥る誤りについて」


「中原中也記念館」の情報など

「松下村塾」写真集
  「木戸孝允生家」写真集 

「その他の写真」
(海辺からの指月山、城下町通りなど)



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