オリオンの旅日記5 (山口)
木戸・西郷・大久保会見所
ご馳走恐怖症なのですが やはり老舗旅館の雰囲気は玄関に到着したときから違っていました。 ゆったりと落ち着いたロビーの受付(フロント)で宿泊手続きを済ませ、部屋に案内されると、昨晩とは別世界に入り込んだようでした。床の間に菊の花と風景画が飾られた8畳間は、窓側の低い椅子2脚と小型テーブルが置かれた間を含めると実質10畳で、通常の旅館の設備と変りはありません。でも入口の板の間はぴかぴかに磨かれて、顔が映るのではないかと思うほどで、トイレと洗面所・バスルームは別々に独立してあり、普通のホテルに比べて広さも十分で、すべてが気持ちの良いくらい清潔に保たれていました。 最初に抹茶のサービスがあって、しばらくすると私の部屋係の人がやってきて、旅館内の施設(お風呂、庭の出入口、維新資料室など)を案内してくれました。家族湯がふたつあって、ひとつは「曙の湯」、もうひとつがお目当ての「維新の湯」です。食事をしたあとにぜひ入りたいと思い、庭の散策も楽しみにしていました。 夕食は部屋に運んでくれるので、ゆっくりできそうです。ただ、私は少々ご馳走恐怖症の気味があって、運ばれてくる前から、全部食べられるかしら、と心配していました。以前に2〜3日、温泉地(日光方面)に旅行しようと思って、旅行代理店に「女性ひとりでも泊まれる宿を探してください」と頼んで、予約をしてもらったことがあります。その旅館ではガラス張りのエレベーターから外の景色が見え、すぐそばに川が流れているという申しぶんのない立地で、旅館の人もたいへん親切でした。ただ、夕食にたくさんのご馳走がでて、どの料理も見た目がしゃれており、おいしそうだったのですが、とても一人で食べきれる分量ではなく、ようやく半分ぐらいは食べたでしょうか。それでもかなり残してしまったので、料理人さんに申しわけないと、ずいぶん気にしたことを覚えています。 この湯田の旅館もやはり、すばらしい料理を出してくれました。山口はフグが有名ですから、フグ料理がメインで、フグの揚げ物、フグなべ、煮物、カニのお吸い物、それにお刺身は鯛と海老でしたが、私は海老が苦手なので、少しだけ口にしてほとんど残してしまったのも申しわけなかったです。肉がとろけるようなビーフシチュー(らしきもの)は全部いただきました。瓦に乗ったおそばも出ました。そのあとマツタケご飯が出たのですが、さすがにご飯はだいぶ残してしまいました。誰か友人とか連れがいたら、話をしながらゆっくり食べられるのですが、一人ですからただ黙々と食べるしかありません。それでもかなり時間をかけて、食後のフルーツ、甘味までずいぶん頑張って食べたと思います。普段は食べないご馳走をたくさんいただいて、気分的には大満足ではありましたが、美食家ではない私の胃は少々びっくりしたようです。 「維新の湯」をひとりじめ すこし休憩してからいよいよお風呂です。「お風呂に入るときは、ご案内しますのでお知らせください」と言われていたので、フロントに電話したら、まもなくして係の人がきたので、あとについて行くと、運の良いことに「維新の湯」が空いていました。 「こちらに入っていいですか?」 「どうぞ。中から鍵を掛けられますから、鍵を掛けてお入りください」 というわけで、「維新の湯」をひとりじめすることになりました。脱衣して中に入ってみると、写真で見るよりかなり広いと思いました。石造りの四角い湯船は5人入っても十分な広さです。残念ながらカメラを忘れてしまって、お風呂の中を撮ることはできませんでしたが、旅館のパンフレットには「維新の湯」の写真がしっかり載っています。ひとりで湯船につかっていると、昨日のいやな経験はすべて忘れて、心からくつろぐことができました。幕末の志士たちもここで命の洗濯をしたのかな。木戸さんも薩摩の大久保たちと密談して、まだ安心はできなかったでしょうが、すこしは新しい時代への希望を持ちはじめたかしら。それまで、生きるか死ぬかの緊張を強いられた、非常な日々を過ごしてきたのですから。 ところで、ここではタオルのほかに身体を洗うスポンジ(最初は平べったいが、お湯につけると膨らんでスポンジになる)も各室に準備されており、ずいぶん気がきいているなと思いました。他のホテルもこのスポンジのサービスを採用してほしいものです。 お風呂から上がって脱衣場を出ると、もう家族連れの宿泊客が待っていました。廊下の一隅に冷たい水やほうじ茶が自由に飲める設備があって、そこでほうじ茶をいただいてから庭に出てみました。でもすぐに、ぱらぱらと雨が降ってきたので、その晩は諦めて、翌朝、庭を散策することにしました。 11月×日(4日目) くもり 庭園を散策する 翌朝は5時ごろ起きて、またお風呂に行きましたが、すでに「維新の湯」は誰かに占有されていたので、大浴場に入ることにしました。岩風呂で、私のほかにはひとり先に入っていただけで、広々として、ここも大変気持ちのよいお風呂でした。 湯豆腐、半熟卵などの朝食を済ませてから、回遊式の庭園に出てみました。踏石をわたって行くと、松や楓などの樹木に囲まれた細長い池(左下の写真)があって、中では大きな鯉が悠々と泳いでいます。すこし上にのぼったところに足湯(右下の写真)があって、レモンが数個浮んでいました。 「時しあらば よにあひおひの ひめ小松 君にひかるることもありなむ」 と当時の心境を詠った碑が、三条手ずから植えたという松のそばに建っていました。庭園散策を堪能したあとは、旅館をチェックアウトして、いよいよ「木戸孝允への旅」の最後の地である萩に向かいます。フロントで聞くと、萩へは電車は遠まわりになるのでバスで行ったほうがいいと助言されたので、湯田を経由するバスで行くことにしました。でも、バスの時間まで1時間以上あるので、どうしようかと思っていたら、近くに山口出身の詩人、中原中也の記念館があるから、そこを見学したらどうですかと勧められたので、旅館に荷物を預けて行ってみることにしました。 中原中也記念館は火災で焼失した中也の生家跡に建てられており、グレーを基調としたモダンな建物です。入館料310円を払って中にはいり、詩集や詩の原稿などが飾られた展示室をひととおり見たあと、ちょうど一室でビデオの放映が始まったので、椅子にすわって見ることにしました。視聴者は私ひとりだけで、ビデオ室を独占です。大正時代から昭和初期にかけての世上の様子や中也の交友関係がよくわかり、特に小林秀雄との話が印象に残りました。中也は山口に帰郷したいと思いながら、鎌倉の地で亡くなったそうです。30歳の短い生涯でした。 記念館を出たあとは、近くの高田公園に行きました。ここは井上馨の生家跡だったのですね。それで銅像が建っていたんだー、と後になって納得しました。その他、七卿の碑や、中原中也の詩碑などがあり、一角には足湯もありました。時間がきたので荷物を取りに旅館に戻ると、バス停まで客室係の人が送ってくれました。やはり一流の宿は違いますね。雑費、お土産代などを含めると、一泊で4万円を超える出費になりましたが、電話をしたあのときの私の心境では、たとえ「一泊10万円です」と言われても「お世話になります」と言っていたでしょう。とはいえ、一泊3万円以上の宿は、通常なら身分不相応な宿ではあります。オフシーズンに割安料金で宿泊できれば、ぜひまた泊まりたいと思いますけど、そうしたサービスはないのかな。歴史好きな貧しい学生や市井の研究者のために――。ところで、この宿はどうみても旅館ですが、名称はホテルになっています。なにかモダンな印象を客に与えたかったのか、客室はすべて和室なのでちょっと不思議でした。 「維新の湯」に入って気分もリフレッシュして、到着した東萩行きのバスに乗り、いよいよ旅のクライマックス、木戸孝允の生家のある城下町、萩へむかいます。 |