今回は松陰の最期ということで、TV画像を撮ってみました。江戸に送られた松陰は小伝馬町の獄に投じられ、奉行所の尋問を受けることになります。尊攘志士・梅田雲浜との関係や京都御所内への幕府を批判した落し文については、その誤解を解くことができました。しかし彼は、「伏見要駕策」や「間部要撃計画」について、自ら話してしまいます。誠を尽くして話せば、幕府の外交政策や尊攘派弾圧の間違いに気づいてくれると思ったのでしょう。

一方、獄中の松陰に金子などを届けて、なにかと師の世話をしていた晋作は、萩にいる父親の工作で帰国を余儀なくされます。松陰との関係を心配した父が、息子に嫁を取らせようとしていたのです。自分が何をしたらいいのかわからなくなった晋作は、獄中の松陰に会ってたずねます。君には将来やるべきことが残されているのだ、と師は言い、萩に帰るように促しました。
最後の取り調べの場には、井伊直弼が陰で様子をうかがっていましたが、やがて松陰の前に姿を現します(ここはドラマだから (^^;)。松陰は井伊大老を目前にしても、臆することなく彼の政治の間違いを指摘して、批判しました。もはや死罪は免れがたく――
松陰は覚悟を決めて村塾生たちに遺書「留魂録」を書き残し、2通のうち1通を牢名主に託します。「ではツル(金)をよこせ」という牢名主に、「ツルはもうありません。あなたを信頼するだけです」と松陰(言葉は正確ではなく、そんな感じで)。

安政6年10月27日、吉田松陰処刑。享年30 辞世の句↓
身はたとへ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂
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