木戸孝允への旅 108


維新編(明治6年)


● 大久保・西郷、閣議で激突−『征韓論』のゆくえ(前編)

 木戸を一目見て、大久保は体調の思わしくないことを悟ったようです。それで、話の大要を述べて、互いの意思を確認するにとどめました。木戸はすでに伊藤から、大久保の参議就任の受諾について聞いており、これに安堵して辞表も取り下げていました。したがって、ふたりの共闘はここに成立し、その後は伊藤が両者の連絡役となって、この政争の決着まで奔走することになります。
 新参議を交えての閣議は10月14日に決まりました。その前に大久保のほかに副島種臣(外務卿)が新たに参議に任命されましたが、この措置は大久保自ら望んだようです。大久保の盟友ともいえた副島は征韓論者であり、この問題に関しては大久保とは相反する立場にありました。それでも、あえて彼を参議に推したのは、征韓派に対する用心深さからだったのでしょうか。自らの参議就任について憶測を生まぬように配慮したのか、あるいは外務卿たる副島の朝鮮問題を含めた外交的役割を強化して、西郷の遣韓使節を牽制するつもりだったのか―‐。いずれにしても、大久保は閣議において西郷と正面から対決する覚悟をかため、当時、米国留学中の息子たち(大久保利和、牧野伸顕)に遺言じみた手紙の草稿を残しています。その要旨は、

「ただ今の情勢は国家存亡のときと察せられ、自分でなければこの難局にあたる者がいないので、意を決して当職(参議)を拝命した。死力を尽くして天恩に報いる覚悟である。一身上においては一点も思い残すことはない。ただ希望するところは、わが憂国の志を継いで、勉学に励み、知見をひらき、有用な人物となって国のために尽くしてほしい。もしかしたら異国にあって、自分の変事を聞くこともあろう」

 このように、大久保は決死の覚悟をもって10月14日を迎えました。閣議の出席者は以下のとおりで、大久保、岩倉にとって、留守政府のメンバーとは帰国後、初めての顔合わせとなりました。(カッコ内は当該案件に対する各人の態度およびその変遷)

 太政大臣 三条実美 (内治優先→西郷支持→内治優先)
 右大臣  岩倉具視 (内治優先→西郷支持→内治優先)
 参 議  西郷隆盛 (朝鮮問題優先)
 参 議  板垣退助 (西郷支持)
 参 議  江藤新平 (西郷支持)
 参 議  後藤象二郎 (西郷支持)
 参 議  副島種臣 (西郷支持)
 参 議  大隈重信 (内治優先)
 参 議  大木喬任 (内治優先)
 参 議  大久保利通 (内治優先)
 (参議 木戸孝允は病気のため欠席)

 なお、木戸が推した伊藤については、時期尚早ということで、参議には任命されませんでした。

 この閣議の模様は議事録が残っていないので、詳細はわかりませんが、出席者の後年の供述や、残っている関係人物の伝記などを参考にして推測することができます。まず『岩倉公実記』によると、岩倉は最初に、樺太や台湾の問題を重要事案として取り上げています。とくに、樺太では国境線があいまいで、ロシア人との紛争が絶えないので、この問題こそ先に処理するべきである、と論じたのです。これに対して西郷は、
「樺太の件は出先官憲の関与する事件だが、朝鮮の問題は日朝間の国際紛争であり、皇国の盛衰にかかわってくる。どうしても樺太の事案が先だというなら、私を遣露使節に任じてもらいたい」
 と答えました。しかし、樺太問題は外務卿が担当しており、本事案の処分には多少の日数がかかること、その間に内治を整えて、外征前に十分な力を蓄えるべきである、と岩倉は内治優先の要を説きました。西郷は、ロシアの脅威に対するには朝鮮を抑えておかなければならない、と反論します。たとえ交戦して負けても、守備や後退作戦において有利であり、時間をかせげること、そのうちイギリスが介入してくれば、かの国を味方につけることもできる、というのが西郷の戦略上の考えでした。ポーランドやトルコをめぐって英露間で対立のあることを、西郷は米国公使デ・ロングから聞いていたのです。

 軍事にはうとい岩倉が、西郷に反論できずに黙していると、代わりに大久保が口を開きました。朝鮮との交渉が決裂すれば、戦いは避けがたい、と彼は主張します。「わが国はまだ軍艦、武器等を整える余裕がなく、外国に頼るしかない。しかし、これ以上借入れを増やせば、返済不能になるおそれがあり、そうなれば、日本の独立も危くなる。したがって、まず内治を整えることが急務である」
 大久保の意見に対して、西郷は「遣韓使節については、すでに決定済みのことだ」と一蹴。さらに大久保が「自分は知らない」と答えると、西郷は激高しはじめます。以後、話は留守政府の振る舞いのことにも及んで、両者が反駁しあい、論争が止まらなくなっていきます。西郷は邦国の実情がどうであれ、まず行動を起こすことが大事であり、たとえ戦って負けても、不屈の精神が日本を救う、という趣意を熱弁しました。一方、大久保は、政治は実務であり、問題はなんであれ現実的に対処するべきで、精神論では克服できない、という思いをもって西郷に反論しました。ふたりの議論はどこまでいってもかみ合わず、感情に走って大声を上げる場面もあったようで、「もはや、だれも口をはさむことができなかった」と、のちに板垣が述懐しています。

 それまでに、大久保が内務省の設置について語っていたので、ようやく副島が、
「50日ほどかかるというなら、まず内務省を設けて、その後の使節派遣には同意する、ということでどうでしょうか」
 と折衷案を提示しました。しかし西郷は、そんな引き伸ばしはできない、と言い張り、その後決定的な言葉を発します。
「わが意見がなされぬなら、やむを得ない。職を辞するほかない」
 西郷の決意の固さに一同は驚愕しました。だれも言葉を返す者もなく、結局、この一言を最後に、結論は翌日に持ち越されることになったのです。西郷辞任の覚悟は彼の支持派を驚かせるより、いっそう大きな衝撃をもって内治優先派の三条、岩倉を戦慄させました。その上、翌日の閣議に西郷は欠席したのです。もはや言うべきことは言った、あとは結果を待つのみ、という思いだったのでしょう。

 西郷の欠席は、公家出身者である三条、岩倉にとって、無言の圧力、脅しとなったようです。もし西郷が辞職するようなことになれば、政府内外にいかなる混乱が生ずるか、想像するのも恐ろしいことだったに違いありません。三千の近衛兵は西郷を擁してどのような挙に出るかはかりがたく、最悪の事態も想定されました。
 二日目の閣議でも、大久保は特使(西郷)の朝鮮派遣について反対の意見を述べ、板垣、副島らは西郷を支持して、両陣営とも譲らぬ状態がつづきました。そのため、三条、岩倉の両大臣が最終的な決定を下すことになったのです。参議たちがいったん部屋を退出すると、両大臣は深刻な表情で相談をはじめました。間もなくして参議たちがもどってくると、一同を前にふたりの結論が発表されました。

 西郷進退については大事なことなので、やむを得ず西郷の意見どおりに任せることに決定した。

 西郷の朝鮮派遣を承認するということで、征韓派の勝利が明らかとなりました。大久保敗れたり――彼は無言のまま一礼すると、ひとり静かに部屋をあとにしました。結果的に、ふたりの大臣は大久保を裏切ったことになり、「反征韓、内治優先」を約して彼に差し出した両大臣の証文は、反故となってしまいました。

★ 本108話にかかわる弊館内の記事:
  明治六年秋(九) 閣議前の動静 〜


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