Meiji Restoration & Chronology in English
ゲストルーム − 弊館の記事の引用・転載について 長州藩と水戸藩 奇跡の点と線(3) 10/15 ■ 桂小五郎が交わった水戸藩士、最初の人物はだれか ほか「桜田門外の変」 「水長密約」 「坂下門外の変」 「水戸天狗党」とのかかわり、長州藩と水戸藩の藩士同士が結んだ『成破の盟』は多くの困難と犠牲を伴いながらも、すこしずつ、確実に実を結び、「明治維新」という見事な華を咲かせる結果となりました。(終) 長州藩と水戸藩 奇跡の点と線(2) 3/21 ■ 長州藩士と水戸藩士の交流はいつ、どこで始まったのか ■ 水戸藩主「烈公」斉昭の活躍と退陣 弘道館の落成式には、斎藤弥九郎が千葉周作(北辰一刀流)らと共に招かれ、門人数名を伴って水戸を訪れて、藩士に剣術を指南し、模範試合も行いました。しかし、この時が水戸藩との交流の始まりではありません。 木戸孝允以外の人物に関するサイト内検索 − 江藤新平、大隈重信 2/14 幕末維新なんでも情報 維新三傑(木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛)の書を語る 1/15 ひと言でいうと、西郷の書は筆触には柔軟さを秘めながらも、力でねじ伏せる書です。書は筆への力の入れ加減と逆に紙から反発する力のバランスによって成り立っているんですが、西郷はそれを無視して、さらにおさえつけて進もうとする。これはもう「無法の書」とでもいうほかありません。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ◆ 「木戸孝允への旅」(全125話)ついに完結!!◆ (木戸孝允・長州藩を中心とする「幕末維新史」(1833−1877)大河ドラマ) 木戸孝允への旅125(「維新編」最終回) − 白雲を望む ・ 木戸孝允、京都に死す さて「木戸孝允への旅」もそろそろ終わりに近づいてきました。これ以後、木戸の病状が回復することはなく、医師は仕事をつづける彼の体調を憂慮して外出を禁じます。日増しに胸痛がはげしくなり、ついに病床に臥して起つこともできなくなりました。 木戸孝允への旅124 − 西南戦争(その4) 西郷隆盛の最期 薩軍はもはや逃げ場を失った、とみた政府軍は18日未明、総攻撃を開始して長井村に突入しました。ところが西郷以下、幹部、精鋭部隊の姿はなく、すでに逃げ去ったあとでした。17日、西郷は全軍の解体を決意して、各隊に以後は自由に行動するように告げたのです。 ■ 「維新編」の始まりは 84.戊辰戦争: 上野戦争から ■ 維新後の主な戦争・事変・政変に関する記事 87.戊辰戦争(つづき)−函館戦争 88.版籍奉還 91.大村益次郎暗殺の黒幕 97.広沢真臣暗殺事件 99.廃藩置県の舞台裏 101. 岩倉使節団は何を目指したのか 108. 大久保・西郷、閣議で激突 − 『征韓論』のゆくえ(前編) 109. 反征韓派の大逆転 − 『征韓論』のゆくえ(後編) 111. 佐賀の乱で木戸・大久保結束 115. 国会開設への道を開いた『大阪会議』 119. 神風連・秋月・萩の乱 − 前原一誠刑死 121. 西南戦争(その1) - 私学校徒の暴発 122. 西南戦争(その2) - 熊本城の攻防 123. 西南戦争(その3) - 田原坂の攻防 124. 西南戦争(その4)−西郷隆盛の最期
小説「明治六年秋」は完結しました(2016.11.20) (一部、木戸孝允の私生活の場面以外は、すべて史実に基づいて書かれています) - 主な登場人物 - 木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛、伊藤博文、大隈重信、岩倉具視、三条実美 佐賀の乱、台湾出兵後に木戸は下野し、郷里の山口へ。物語の見どころは、 (一) プロローグ+木戸孝允の肖像 − 最初からお読みになりたい方はこちらから。 (十一) 両雄対決! − 朝鮮問題をめぐる閣議で西郷と大久保が大激論! (十五) 大逆転 ― 岩倉の啖呵 − ついに征韓論政争は決着、西郷敗れる。 (十) 憂鬱なる日々−小野組転籍事件 − 槇村正直(長州藩)、山本覚馬(会津藩)、八重(のち新島襄の妻)が登場します。 (七) 征韓論(その一) 征韓論(その二) − 当時の『征韓論』について、かなり詳しく記述されています。興味のない方は、ここを飛ばして読んでも、ストーリーは理解できます。なお、『征韓論』の概略については、「征韓論政変はなぜ起きたのか その1 その2 その3」を参考にしてください。 木戸孝允への旅83 − 「五箇条の御誓文」 慶応4(1868)年3月14日、紫宸殿において「五箇条の御誓文」発布の儀式が厳かに始まりました。公卿諸侯が衣冠の正装姿で居並ぶなか、儀式は神道に則ってまず清めの塩水、散米が行なわれ、神歌が奏せられました。 補記 「宸翰について − 知られざる木戸孝允の功績」 一般にはほとんど知られていない、木戸が天皇の行為において果した重要な役割をここに明らかにして、「木戸孝允への旅・幕末編」の最後のページを閉じたいと思います。 ■ 旅の始まりは 1.「幼年時代」 から ■ 幕末の主な事変に関する記事 10.「安政の大獄・その1」 11.「安政の大獄・その2」 16.「桜田門外の変」 21.「坂下門外の変」 25.「寺田屋事件」 34.「八・一八政変・その1」 35.「八・一八政変・その2」 40.「池田屋事件」 41.「禁門の変1、2、3」 66.「幕長戦1、2、3」 74.「坂本・中岡暗殺の日」 79.「鳥羽・伏見の戦い」 ■ その他の注目記事 13.「吉田松陰の処刑」 33.「奇兵隊結成」 39.「新選組」 51.「高杉晋作決起!」 53.「幾松の逃避行」 63.「薩長連合なる」 70.「高杉晋作逝く」 71.「船中八策&天皇の崩御」 |
長州藩の歴史・情報 長州ファイブ・遠藤謹助 − 造幣事業の独立と技術の習得を目指して − 明治22(1889)年1月までに、残っていた最後の外国人技術者2名が解雇され、造幣局はすべて日本人によって運営されることになりました。4月には5銭白銅貨(銅とニッケルの合金貨幣)が完成し、ついに日本人だけの手で初めての貨幣が造られたのです。 木戸孝允への旅99 − 廃藩置県の舞台裏 こうして明治4年7月9日、午後5時より、木戸邸において、日本の未来を決する重大な「秘密会議」が開かれました。主な出席者は木戸、西郷(兄)、大久保、井上の四人で、山縣、鳥尾、野村、西郷(弟)、大山(彌助)は最初、別室に控えていたようです。 木戸孝允への旅97 − 広沢真臣暗殺事件 明治新政府の要人暗殺は横井小楠(明治2年正月に襲われ、即死)、大村益次郎(明治2年9月に襲われ、11月死亡)につづいて広沢が3人目で、惨事は明治4年1月9日に東京麹町の自宅で起こりました。 長州藩の歴史・情報 長州ファイブ ・ 山尾庸三 − 技術者の育成と聾盲唖教育への情熱 − 国の発展は工業を興すことから、という信念を持っていた山尾は、次には工部省の創設を訴えて意見書を提出しました。幸い、彼の意見が採用されて、明治3年(1871)に工部省が新設されると、工学、鉄道、灯台などの基盤づくりに尽力し〜 木戸孝允への旅96 − 大久保の一大決意 こうした状況下で危機意識を募らせたのは大久保でした。この時期、薩摩藩挙兵の風説が広まり、西郷が大兵を率いて政府を一新するとの噂に姫路藩も加勢を決めたとか、土佐の板垣は薩摩を討ち政権の主導権を握ろうと画策しているとか、様々な情報が飛び交っていました。 明治六年秋(十五) 大逆転 − 岩倉の啖呵 この件(くだり)を読んだとき、岩倉ははっと顔色を変えた。疑われている、と彼は思った。自分は大久保に疑われている。大久保は釘を刺したのだ。これほど信頼しているのだから、まさか裏切ったりはしませんよね、と――。最後の一手をけっして控えたりはしない。勝敗が決する直前まで、ありとあらゆる手を尽くす。大久保とはそういう男なのだ。 木戸・和田氏系図 − 生咲氏系図(市兵衛家族のみ)を追加しました。 2011.5.28 生咲氏は木戸孝允夫人・松子及び養子・忠太郎の生家です。 小説のページ 「ふたり小五郎」(「練兵館の華」番外編) 鴨川の橋を渡りかけたとき、向こうから見慣れた羽織を着たいかつい武士の集団が歩いてくる。まずい、新選組か?(松菊日記より転載) 木戸考1〜5(雑記帳 − 松菊日記から転載) 8/22 「長州を "ドンキホーテ” にしなかった男」、「意外と一匹狼だった」、「龍馬の失敗に学び、小五郎の成功への秘訣を探る」など。 小五郎が潜伏先の出石から、乞われて長州に戻ったとき、「小五郎の帰国は長州藩にとって、大旱に雲霓(うんげい)を望むがごとき有様だった」(大ひでりのときに、雨の前兆である雲と虹を待ち焦がれるような) というのですから、彼は「禁門の変」以前から、その指導者としての才覚を十分に発揮して〜。 木戸孝允関連記事2(松菊日記から転載) − 「木戸公の言論・学校機関への貢献」、「久々に維新の話」、「吉田松陰の遺体と桂小五郎の血判」 小五郎にとって首のない死体を見るのは、おそらく初めてだっただろう。それも病死ではなく刑死である。四斗だるの中に屈折した血まみれの裸体。物言わぬ土気色の唇。永遠に閉じられた瞼〜 長州ファイブ − 「鉄道の父・井上勝 − メイド・イン・ジャパンへのこだわり」 明治11年に工事が始まった京都・大津間には逢坂山があり、トンネル工事が必要でした。ここは日本人だけで完成させたい、と思った野村はその実現に向けて〜 木戸孝允意見書・自叙 − 「藩知事の世襲反対に関する自叙」 而して版籍奉還の請いを容れ、また直ちに命ずるに世襲の二字を以てする時は、わずかにその名を改めて、その実は則、従来の諸侯にすこしも異ならず。 幕末維新の諸問題 「明治六年・征韓論政変はなぜ起きたのか」(旧「特別小論」) 木戸孝允に捧げる詩 宿命の人 悠久の宇宙をめぐる星たちよ 知っているか 人はみなその粒子より生まれ やがては星雲に漂う塵となって 母なる宇宙にもどってゆくことを 〜 木戸孝允書簡集 − 桂小五郎のことにふれた他者宛の龍馬書簡 木戸から大久保へ 大久保から木戸へ 龍馬から小五郎へ 孝允意見書・自叙 − 「版籍奉還に関する意見書」 就いては至正至公の心をもって、七百年来の積弊を一変し、三百諸侯をして、挙げてその土地人民を還納せしむべし。 「憲法制定の意見書」 「練兵館の華 第一章」のあらすじを更新しました。 「練兵館」で小五郎は「鬼歓」の異名で知られる弥九郎の次男歓之助との厳しい稽古に耐え、注目されはじめる。 「明治六年秋」 − (十四)疑惑 09/3/16 再度の閣議となれば、そこに反対派はひとりもおらず、岩倉はまたしても西郷らに圧されて同調してしまうのではないか。岩倉が再び変節しかねないことを、大久保は恐れていた。 「明治六年秋」 − (十三)反征韓派の攻勢 大久保は眼を閉じて、寡黙に黒田の話を聴いていたが、「もはや万策は尽きている」 静かな口調で答えた。 「えっ、そんなぁ」 失望の声を発した相手に、「しかし、ただ一の秘策がある」 大久保の眼が鋭く光った。 雑記帳 − アルバート・クレイグ著 (松菊日記から転載) 「木戸孝允と大久保利通 − 心理的歴史分析の試み」 明治政府の指導者たちは、生き生きとした多彩な個性の持主であった〜 もし大久保と木戸が1867年に暗殺されたとしたら、その結果はどうなっていたか。 小説「練兵館の華」 − 第四章 熱き漢をしずめよ(14)〜(15) 最終回 もしかしたら、おれはこいつの見かけの大人しさに騙されていたのかもしれぬ。みんなが考える以上に、はるかに「熱い漢」なのかもしれぬな、桂小五郎という男は――。 特別小論 − 幕末の歴史をつくった「長州藩と水戸藩 奇跡の点と線」 ■ 木戸孝允への旅 − 木戸孝允の誕生から他界までの物語(連載中) ■ 木戸孝允をめぐるなぜ − なぜ尊攘派のリーダーになれたのか 等 ■ 木戸孝允をめぐる人々 − 高杉晋作、坂本龍馬、大久保利通 他 ■ 木戸・桂 徹底研究 − 小五郎のリーダーシップ 木戸孝允の政治戦略 ■ 小説のページ − 「練兵館の華」(短縮版)、連載小説「明治六年秋」 ■ 長州藩の歴史・情報 長州ファイブ&留学生たちが育んだもうひとつの薩長同盟 長州藩の基礎知識 中国の覇者毛利元就 長州藩祖毛利輝元など ■ 岩倉使節団 使節団年表 ■ 人物紹介 木戸孝允略歴+基礎史料の紹介 長州藩、薩摩藩、土佐藩など |
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